日本歴史地名大系 「万代百済村」の解説 万代百済村もずくだらむら 大阪府:堺市万代百済村[現在地名]堺市百舌鳥陵南(もずりようなん)町一―三丁・百舌鳥西之(もずにしの)町三丁・北条(ほうじよう)町一―二丁・上野芝向(うえのしばむこう)ヶ丘(おか)町一丁・上野芝(うえのしば)町二丁など万代高田(もずたかだ)村の南に位置する。大鳥郡に属し、万代庄八ヵ村の一。「新撰姓氏録」(和泉国諸蕃)にみえる「百済公」と当地との関係が推測される。慶長一〇年(一六〇五)和泉国絵図には「くだら村」とみえ高六七七石余。寛永末年頃の状況を記したと推定される和泉国郷村帳では万代梅(もずうめ)・万代金口(もずかねのくち)・万代高田とともに「万代村」とされ高一千九六〇石余。元禄初年の「泉州志補遺」では一村で六七二石余、うち二九四石は北深井(きたふかい)村からの出作分とされている。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by