北条(読み)ホウジョウ

デジタル大辞泉 「北条」の意味・読み・例文・類語

ほうじょう〔ホウデウ〕【北条】

姓氏の一。
鎌倉幕府執権家。桓武平氏の流れで、平貞盛の後裔時家のとき、伊豆北条に住んで北条と称した。時政源頼朝の幕府創業を助け、のち、執権として数代にわたり幕府の最高実力者となった。
小田原を根拠地に関東を支配した戦国大名。伊勢新九郎長氏(早雲)を祖とし、氏直のとき豊臣秀吉小田原攻めで滅亡。後北条氏。
[補説]「北条」姓の人物
北条顕時ほうじょうあきとき
北条氏綱ほうじょううじつな
北条氏直ほうじょううじなお
北条氏長ほうじょううじなが
北条氏政ほうじょううじまさ
北条氏康ほうじょううじやす
北条霞亭ほうじょうかてい
北条実時ほうじょうさねとき
北条重時ほうじょうしげとき
北条早雲ほうじょうそううん
北条高時ほうじょうたかとき
北条民雄ほうじょうたみお
北条団水ほうじょうだんすい
北条時房ほうじょうときふさ
北条時政ほうじょうときまさ
北条時宗ほうじょうときむね
北条時行ほうじょうときゆき
北条時頼ほうじょうときより
北条秀司ほうじょうひでじ
北条政子ほうじょうまさこ
北条政村ほうじょうまさむら
北条泰時ほうじょうやすとき
北条義時ほうじょうよしとき

ほうじょう〔ホウデウ〕【北条】

愛媛県北部にあった市。高縄山がある。鹿峰瓦かのみねがわらの産地。平成17年(2005)1月に中島町とともに松山市に編入。→松山

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精選版 日本国語大辞典 「北条」の意味・読み・例文・類語

ほうじょうホウデウ【北条】

  1. [ 一 ] 愛媛県松山市北部の地名。旧市名。斎灘(いつきなだ)に面する。紡績・繊維工場があり、鹿峰(かのみね)には江戸時代からの瓦(かわら)工場が並ぶ。昭和三三年(一九五八)市制。平成一七年(二〇〇五)松山市に編入された。
  2. [ 二 ] 明治四年(一八七一)の廃藩置県により美作国に設置された県。同九年岡山県に合併。

ほうじょうホウデウ【北条】

  1. 姓氏の一つ。

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日本歴史地名大系 「北条」の解説

北条
ほうじよう

鎌倉幕府の樹立・維持に力を尽した北条氏の名字の地。治承四年(一一八〇)四月二七日、平家追討を命じた以仁王の令旨が「伊豆国北条館」にいた源頼朝のもとに届いた(吾妻鏡)。この頃、頼朝は北条時政の居館である北条館におり、居館は現寺家じけもり山北麓にあったとされ、北条氏邸跡として国の史跡に指定されている。以後、頼朝旗揚げに至るまでの「吾妻鏡」にみえる北条はこれをさしている。同書治承四年八月一九日条に、土肥どい(現神奈川県湯河原町)辺りから「北条」へは走湯山(伊豆山神社)を往還路とすると記される。文治五年(一一八九)六月六日、時政は北条内で願成就がんじようじゆ院の立柱上棟供養を行ったが、田方郡内のその場所は「南条・北条・上条・中条」が境を並べる地であった(同書)。建久四年(一一九三)頼朝の弟範頼が北条で誅殺されている(尊卑分脈)。北条泰時は建仁元年(一二〇一)一〇月六日に北条に赴き、損亡に苦しむ当地の農民の負債を破棄した。のち北条時政・牧の方による平賀朝雅擁立の陰謀が発覚し、元久二年(一二〇五)閏七月二〇日北条義時らが父時政を「北条ママ」に引退させた(以上「吾妻鏡」)


北条
きたじよう

大井おおい庄北半の称で、現甲西町戸田とだを含む一帯に比定される。天正一〇年(一五八二)一一月九日、原半左衛門尉は「北条之内浮分三貫文」など計九貫八〇〇文を本領であるとの申請にもとづいて安堵されている(「徳川家印判状写」御庫本古文書纂)。同月二〇日青沼助兵衛が「北条之内定納八拾貫文・同夫壱人」を含めた本領を認められた(「徳川家印判状写」譜牒余録)。一二月九日には筒井勘右衛門が北条内八〇〇文を含む本給五貫六〇〇文の地を安堵された(「徳川家印判状写」御庫本古文書纂)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「北条」の意味・わかりやすい解説

北条(愛媛県)
ほうじょう

愛媛県中北部にあった旧市名(北条市)。現在は松山市の北部を占める一地区。1955年(昭和30)北条町は浅海(あさなみ)、粟井(あわい)、河野(こうの)、立岩(たていわ)の4村と合併、1958年市制施行。2005年(平成17)温泉(おんせん)郡中島(なかじま)町とともに松山市に合併。旧市域は、瀬戸内海の斎灘(いつきなだ)に臨み、安居島(あいじま)、鹿島(かしま)などの島々を含む。旧北条市の中心部は『和名抄(わみょうしょう)』の風早(かざはや)郡の地。近世は松山藩に属した。地名は条里制によるとも、中世豪族北条氏に由来するともいわれる。条里制にちなむ地名が多い。沿岸部をJR予讃(よさん)線、国道196号(今治(いまばり)街道)が走り、街道沿いは街村が多く、中心集落の北条辻(つじ)や、その南の柳原(やなぎはら)は近世に在町(ざいまち)として発展し、当時の地割が残っている。平野部は米作のほか野菜、ミカン栽培が盛んであるが、松山市中心街の近郊地として住宅団地の建設も多い。聖カタリナ大学と同短期大学がある。沿岸には漁港が多く、タイやアジ、サバなどの漁獲があり、北条港はその拠点。また紡績、衣類製造なども行われる。海岸一帯と島嶼(とうしょ)部は瀬戸内海国立公園域で、鹿島では野生のシカが生息する。中世には豪族河野氏の居館があった。安居島は内海航行の風待ち港として発展し、海運業を営む者が多い。鹿島の櫂練り(かしまのかいねり)は神輿(みこし)の渡御祭礼で県指定無形民俗文化財。庄(しょう)地区が保管する木心乾漆菩薩(ぼさつ)立像、木造菩薩立像は国指定重要文化財。国指定天然記念物にエヒメアヤメ自生南限地帯がある。

[横山昭市]



北条(鳥取県)
ほうじょう

鳥取県中央部、東伯郡(とうはくぐん)にあった旧町名(北条町(ちょう))。現在は北栄町(ほくえいちょう)の東部を占める地区。日本海に臨み、北条砂丘が広がる。旧北条町は1954年(昭和29)中(なか)北条、下(しも)北条の2村が合併して町制施行。2005年(平成17)10月大栄町(だいえいちょう)と合併し、北栄町となる。JR山陰本線、国道9号、313号が通じる。伯耆(ほうき)国府の北の条里にあたり、条里遺構がみられる。また縄文・弥生(やよい)期の島遺跡、国の重要美術品の埴輪鹿(はにわしか)が出土した土下(はした)古墳群をはじめ、多くの遺跡がある。産業では動力砂地灌漑(かんがい)による砂丘ナガイモラッキョウブドウタバコ栽培と北条ワインが有名。洋画家前田寛治(かんじ)、禅師日置黙仙(ひおきもくせん)の出身地。

[岩永 實]

『『北条町誌』(1974・北条町)』



北条(茨城県)
ほうじょう

茨城県つくば市北部の地区で、旧筑波町(つくばまち)の中心市街地。もと筑波郡北条町。筑波山地の多気山南麓(たけやまなんろく)にあり、小田(おだ)氏、真壁(まかべ)氏の居城、のち土浦(つちうら)藩領となった。寛永(かんえい)年間(1624~1644)開通の筑波山参道の起点としてにぎわった。

[櫻井明俊]


北条(兵庫県)
ほうじょう

兵庫県中南部、加西市(かさいし)の中心地区。旧北条町。北条鉄道が通じる。酒見寺(さがみでら)の門前町であり、それに宿場町的性格が加わって発達した。酒見寺旧境内の424体の石仏群は「北条の五百羅漢(らかん)」として知られる。また、春に行われる北条節句祭りは播磨(はりま)三大祭りの一つとされている。

[編集部]


北条(新潟県)
きたじょう

新潟県柏崎市(かしわざきし)東部の地区。旧北条町。八石(はっこく)山地の峠越えの宿場町で、中世は北条氏の城下町。中央を鯖石(さばいし)川の支流の長鳥(ながとり)川が流れており、谷筋は旧柏崎街道の通り道で、現在はJR信越本線がこれにかわっている。谷口の広田温泉は、湯治場として知られる。

[山崎久雄]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「北条」の意味・わかりやすい解説

北条
ほうじょう

愛媛県北部,高縄半島西岸,斎灘に臨む旧市域。高縄山一帯と風早平野を占める。 1958年市制。 2005年松山市に編入。北条港は特産品の鹿峰 (かのみね) 瓦や農産物積出港。中心地の北条には,1937年以降立岩川左岸を中心に紡績工場が立地し,織布・染色工業が行なわれる。農村部は第2次世界大戦前にはナシの生産が多かったが,現在はミカンの栽培が行なわれる。沖合い 400mにある鹿島は周囲 2kmの島で鹿島温泉があり,周辺の島々とともに瀬戸内海国立公園に属する。鯛飯が名物。海賊の昔を偲ばせる櫂練りの踊りなどで知られる。腰折山のエヒメアヤメの自生南限地帯は国の天然記念物。高縄山は奥道後玉川県立自然公園に属する。

北条
ほうじょう

鳥取県中部,北栄町東部の旧町域。天神川下流西岸にある。日本海に臨む。 1954年下北条村と中北条村が合体して町制。 2005年大栄町と合体して北栄町となる。海岸部の北条砂丘と後背低地からなる。古墳群や条里制遺構など上古の遺跡が多く残っており,名称も「北の条理」に由来。砂丘地帯では畑地灌漑施設の完成によりタバコ,ラッキョウ,ブドウ,ナガイモの栽培が行なわれる。国道9号線沿いにメリヤス,缶詰などの中小工場が進出している。国坂は洋画家前田寛治の生地。

北条
ほうじょう

兵庫県南部,加西市の中心市街地。旧町名。 1967年2町との合体により加西市となる。古くから播磨と但馬,丹波,京都方面を結ぶ交通の要地で,宿場町,物資の集散地,播州先染織の産地として知られた。第2次世界大戦中の電機工場の進出や,74年の中国縦貫自動車道の開通で産業都市への変容が著しい。

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百科事典マイペディア 「北条」の意味・わかりやすい解説

北条[市]【ほうじょう】

愛媛県北部,高縄半島の西部を占める旧市。1958年市制。中心市街は瀬戸内海に臨み,立岩川の河口付近に発達,予讃線が通じる。イヨカン・キウイフルーツ栽培,繊維・染色工業が行われ,鹿峰(かのみね)瓦を特産。高縄山は展望がすぐれ,鹿島祭で知られる鹿島とともに瀬戸内海国立公園に属する。万葉集にうたわれた風早の浦は,この地の海岸といわれる。2005年1月温泉郡中島町と松山市へ編入。102.13km2。2万8814人(2003)。

北条[町]【ほうじょう】

鳥取県中部,東伯(とうはく)郡の旧町。天神川の下流西岸の低平な水田地域と砂丘帯からなり,山陰本線が通じる。繊維・かん詰工業があり,砂丘畑地の動力揚水灌漑(かんがい)によるブドウのほか,タバコ,ナガイモを栽培。条里制遺構がある。2005年10月,東伯郡大栄町と合併し町制,東伯郡北栄町となる。20.92km2。8030人(2003)。

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改訂新版 世界大百科事典 「北条」の意味・わかりやすい解説

北条(愛媛) (ほうじょう)


北条(鳥取) (ほうじょう)

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世界大百科事典(旧版)内の北条の言及

【奥山荘】より

…地頭支配の強化は荘園領主支配と対立するようになり,1240年(仁治1)には領家と地頭時茂との間に和与が成立し,年貢米100石,御服綿10両(代銭納の場合は60貫文余)を地頭が納めることで地頭請所となった。77年(建治3)地頭時茂は孫3人に奥山荘を北条(きたじよう),中条(なかじよう),南条に3分して与え,それぞれが惣領を立てることになった。以後奥山荘の三浦和田一族は典型的な惣領制を展開しながら荘内の支配にあたったが,しばしば一族間に係争を生じ,訴訟をくりかえした。…

【筑波】より

…古くから開けた地で古代の条里制の遺構が残り,水守(みもり)は平将門の乱で反将門軍の拠点となった。北条付近の多気(たけ)には平安時代に大掾(だいじよう)氏が拠ったが,鎌倉初期に小田氏に追い落とされた。小田氏が築いた小田城では南北朝期に北畠親房が《神皇正統記》を著している。…

※「北条」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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