日本歴史地名大系 「万多羅寺村」の解説 万多羅寺村まんだらじむら 兵庫県:尼崎市旧川辺郡地区万多羅寺村[現在地名]尼崎市御園(みその)一―三丁目・塚口本町(つかぐちほんまち)七―八丁目・口田中(くちたなか)一丁目・上坂部(かみさかべ)一丁目・東塚口町(ひがしつかぐちちよう)一丁目田中(たなか)村の西に位置する。曼多羅(慢陀羅)寺とも記される。慶長国絵図に万多羅寺とあり高二九三石余。元和三年(一六一七)の摂津一国御改帳に村名がみえ、幕府領(尼崎藩建部政長預地)。寛文六年―延宝八年(一六六六―八〇)頃は梁田直次領、天和三年(一六八三)頃の摂津国御料私領村高帳では同氏領。のち幕府領となり、貞享四年(一六八七)大坂城代松平信興領(元禄三年から京都所司代)、元禄五年(一六九二)幕府領、宝永元年(一七〇四)上野高崎藩領となり、同七年幕府領。正徳元年(一七一一)一部が近衛家領となり(尼崎市史)、享保二〇年(一七三五)の摂河泉石高調では同家領高一一六石余・幕府領高一三四石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by