江戸幕府の職名。1603年(慶長8)江戸に幕府が開かれたことにより、西日本支配のための権能を与えられて成立した。定員1名。3万石以上の譜代(ふだい)大名から任命、役料1万石が給され、与力30騎(のち50騎)、同心100人が付属した。京都の制圧、朝廷や公家(くげ)の監察、西日本諸大名の監視のほか、五畿内(きない)および近江(おうみ)、丹波(たんば)、播磨(はりま)の8か国の民政を総括した。板倉勝重(かつしげ)、その子重宗(しげむね)、牧野親成(ちかしげ)の3代の在職は65年にも及び、京都市中はもとより畿内近国における幕政の定着を大きく前進させた。とくに初期には、徳川家康、秀忠(ひでただ)、家光(いえみつ)の歴代将軍がたびたび上洛(じょうらく)し、所司代体制と将軍上洛の不可分の関係がみられた。幕府支配一元化の方向がみえた1668年(寛文8)、京都支配など民政上の権限を京都町奉行(ぶぎょう)に譲った。以後は老中への出世コース的な役職となり、地位のみ高く幕政上の政治力は急激に低下した。このため、幕末には所司代の無力さが指摘され、京都守護職がその上位機関として設置された。
[鎌田道隆]
織豊政権・江戸幕府の職名。室町幕府の侍所所司代に由来する。織田信長は将軍足利義昭を追放したあと村井貞勝を,また豊臣秀吉は政権が確定すると前田玄以(げんい)を所司代に任じ,京都市政や朝廷・寺社の統制を担当させた。徳川家康もこれにならい,関ケ原の戦後,奥平信昌を任じた。しかし実質的な初代の所司代はつぎの板倉勝重とする説が有力。以後1867年(慶応3)の廃止まで定置された。職掌は,京都市政,朝廷の守護および監察,五畿内・丹波・近江・播磨8カ国の訴訟処理,京都・奈良・伏見奉行の統轄など多岐にわたったが,実務権限はその後徐々に縮小された。幕府職制上,老中につぐ格式をもち,従四位下侍従に叙任された。役高は1万石。
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…所司の下には代官である所司代,小所司代などが組織された。(5)安土桃山~江戸時代の京都所司代。禁中および京都の警衛,朝廷との折衝などの重要な権限をもった。…
…【福田 豊彦】
[近世]
武家政権が朝廷,公家,寺社,京都市中および上方・西国支配のために京都に置いた職。京都所司代ともいう。1573年(天正1)織田信長は足利義昭を追放したあと村井貞勝を所司代に任じ,朝廷対策,寺社統制,京都の庶政,警察治安の維持にあたらせた。…
※「京都所司代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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