京都所司代(読み)キョウトショシダイ

デジタル大辞泉 「京都所司代」の意味・読み・例文・類語

きょうと‐しょしだい〔キヤウト‐〕【京都所司代】

江戸幕府の職名。京都守護禁中公家に関する政務管掌京都伏見奈良三奉行の支配、京都周辺8か国の訴訟の処理、西国大名の監視などを行った。慶長5年(1600)設置、慶応3年(1867)廃止。

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精選版 日本国語大辞典 「京都所司代」の意味・読み・例文・類語

きょうと‐しょしだいキャウト‥【京都所司代】

  1. 〘 名詞 〙 江戸幕府の京都常駐の地方官。定員一名。所司代とも。名称室町幕府の侍所所司代に由来。京都を警備し、京都の諸役人(禁裏付役人、京都町奉行、城代、城番等)を統率し、伏見奉行奈良奉行等に指令する地方官としてのみならず、幕府を代表して朝廷と折衝する外交官的任務をも与えられた。また、皇室公卿ならびに西国諸大名を監視する重職として、その班位は老中についだ。京職。〔明良帯録(1814)〕

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「京都所司代」の意味・わかりやすい解説

京都所司代
きょうとしょしだい

江戸幕府の職名。1603年(慶長8)江戸に幕府が開かれたことにより、西日本支配のための権能を与えられて成立した。定員1名。3万石以上の譜代(ふだい)大名から任命、役料1万石が給され、与力30騎(のち50騎)、同心100人が付属した。京都の制圧、朝廷や公家(くげ)の監察、西日本諸大名の監視のほか、五畿内(きない)および近江(おうみ)、丹波(たんば)、播磨(はりま)の8か国の民政を総括した。板倉勝重(かつしげ)、その子重宗(しげむね)、牧野親成(ちかしげ)の3代の在職は65年にも及び、京都市中はもとより畿内近国における幕政の定着を大きく前進させた。とくに初期には、徳川家康秀忠(ひでただ)、家光(いえみつ)の歴代将軍がたびたび上洛(じょうらく)し、所司代体制と将軍上洛の不可分の関係がみられた。幕府支配一元化の方向がみえた1668年(寛文8)、京都支配など民政上の権限を京都町奉行(ぶぎょう)に譲った。以後は老中への出世コース的な役職となり、地位のみ高く幕政上の政治力は急激に低下した。このため、幕末には所司代の無力さが指摘され、京都守護職がその上位機関として設置された。

[鎌田道隆]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「京都所司代」の解説

京都所司代
きょうとしょしだい

織豊政権・江戸幕府の職名。室町幕府の侍所所司代に由来する。織田信長は将軍足利義昭を追放したあと村井貞勝を,また豊臣秀吉は政権が確定すると前田玄以(げんい)を所司代に任じ,京都市政や朝廷・寺社の統制を担当させた。徳川家康もこれにならい,関ケ原の戦後,奥平信昌を任じた。しかし実質的な初代の所司代はつぎの板倉勝重とする説が有力。以後1867年(慶応3)の廃止まで定置された。職掌は,京都市政,朝廷の守護および監察,五畿内・丹波・近江・播磨8カ国の訴訟処理,京都・奈良・伏見奉行の統轄など多岐にわたったが,実務権限はその後徐々に縮小された。幕府職制上,老中につぐ格式をもち,従四位下侍従に叙任された。役高は1万石。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「京都所司代」の意味・わかりやすい解説

京都所司代
きょうとしょしだい

京都の市政を行うため安土桃山,江戸時代におかれた職名。室町時代の侍所所司代に由来する。織田信長が上洛したときは村井貞勝を,豊臣秀吉が政権をとってからは前田玄以を任じ,関ヶ原の戦い後は徳川家康が奥平信昌を任じた。慶長6 (1601) 年板倉勝重,元和6 (20) 年その子重宗が継いだが,板倉父子の活躍で京都の治安が確立した。所司代の職務は,京都の護衛,朝廷や公家の監察,京都町奉行,奈良奉行,伏見奉行の管理,近畿8ヵ国の天領の訴訟の処理,西国大名の監察など。定員1名,譜代大名から任じられた。

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旺文社日本史事典 三訂版 「京都所司代」の解説

京都所司代
きょうとしょしだい

江戸幕府の職名
京都の治安維持,朝廷の監察や連絡,京都町奉行らの統率,京都周辺8カ国の天領における訴訟の処理,西国諸大名の監督などにあたった。室町幕府の侍所所司代に由来し,1600年奥平信昌 (のぶまさ) が初任。ついで板倉勝重・重宗父子が任ぜられて以来,譜代から選任され,老中につぐ要職であった。1867年廃止。

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百科事典マイペディア 「京都所司代」の意味・わかりやすい解説

京都所司代【きょうとしょしだい】

所司代

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世界大百科事典(旧版)内の京都所司代の言及

【所司】より

…所司の下には代官である所司代,小所司代などが組織された。(5)安土桃山~江戸時代の京都所司代。禁中および京都の警衛,朝廷との折衝などの重要な権限をもった。…

【所司代】より

…【福田 豊彦】
[近世]
 武家政権が朝廷,公家,寺社,京都市中および上方・西国支配のために京都に置いた職。京都所司代ともいう。1573年(天正1)織田信長は足利義昭を追放したあと村井貞勝を所司代に任じ,朝廷対策,寺社統制,京都の庶政,警察治安の維持にあたらせた。…

※「京都所司代」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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