御園村(読み)みそむら

日本歴史地名大系 「御園村」の解説

御園村
みそむら

[現在地名]上県町御園

越高こしたか村の南東にあり、仁田にた浦から分れた南西向きの浦に臨む。中世よりみえいぬうら・越高とともに三浦みうらと総称されることがある。永正一〇年(一五一三)九月一七日の宗国親所領注文写(与良郷宗家判物写)に「みそはたけ」とみえ、俵右馬大夫に宛行われている。天文三年(一五三四)「みそ」の坂の下の畠をめぐって愁訴した「やわた九郎衛門尉」に、うち「一ちやうしり」の扶持が認められている(同年二月一二日「宗盛次書下」伊奈郡判物写)

御園村
みそのむら

[現在地名]大田区西蒲田にしかまた七―八丁目・新蒲田しんかまた一丁目・蒲田かまた五丁目

女塚おなづか村の南、蒲田新宿かまたしんしゆく村の西に位置する低地の村。北東北蒲田きたかまた村との境をのみ川が流れ、西方小林こばやし村から六郷ろくごう用水が村内に入り女塚村へと通じている。旧家八郎右衛門の先祖月村宗観が居宅を構えて久根下耕地くねしたこうち花園を造ったこと、行方弾正の花園があったことなどから御園と唱えたという(風土記稿)。田園簿に村名がみえ、田方一四四石余・畑方四一石余、宝暦二年(一七五二)の高一七七石余、反別は田一二町八反余・畑六町四反余(「新用水堀定」平川家文書)

御園村
みそのむら

[現在地名]東栄町御園

西薗目にしそのめ川の発源地にあたる。本郷ほんごうから望月もちづき峠、別称御園峠を越えて老平おいたいら(現豊根村)へ出る金指かなさし道が通る。延宝三年(一六七五)代官鳥山牛之助・鈴木八右衛門の検地を受け、高一一九石余を検出

御園村
みそのむら

[現在地名]吉野町大字御園

吉野川左岸、楢井ならい村の上流に立地する。中世、中荘司御園氏が南朝方に属したと伝える(吉野旧事記)なかノ郷のうち。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報