日本歴史地名大系 「尼崎市」の解説 尼崎市あまがさきし 面積:四九・六九平方キロ摂津の西部、武庫(むこ)平野の南端に位置する。東は猪名(いな)川・神崎(かんざき)川によって大阪府豊中市、大阪市淀川(よどがわ)区・西淀川区との境を画し、西は武庫川により西宮市と境を区切る。北は伊丹市・宝塚市に接し、南は大阪湾。南部を国道二号・同四三号と四三号の上に建設された阪神高速道路三号神戸大阪線が東西に走り、名神高速道路は尾浜(おはま)に尼崎インターチェンジをもって東西を貫く。さらに北西部を国道一七一号が南西に延びる。最南部の大阪湾をめぐる阪神高速道路五号湾岸線の整備も進んでいる。中央部を東西に通じるJR東海道本線には尼崎・立花(たちばな)の二駅、尼崎駅から北へ発するJR福知山線に塚口(つかぐち)・猪名寺(いなでら)の二駅がある。阪神電鉄本線には杭瀬(くいせ)・大物(だいもつ)・阪神尼崎・出屋敷(でやしき)・尼崎センタープール前・武庫川の六駅があり、阪神尼崎から分岐して西九条(にしくじよう)(大阪市此花区)に至る同西大阪線がある。阪急電鉄神戸線には園田(そのだ)・塚口・武庫之荘(むこのそう)の三駅があり、塚口からは同伊丹線が分れる。〔原始・古代〕旧石器時代の遺跡は明らかでない。縄文時代も中期―晩期の土器が猪名庄(いなのしよう)遺跡・藻川川床(もがわかわどこ)遺跡・猪名川川床(いながわかわどこ)遺跡で採集されている程度である。弥生時代の遺跡では田能(たのう)遺跡から碧玉製管玉・白銅製釧など、近畿地方における弥生時代の墳墓としては異例といえる副葬品が出土している。前期の上(かみ)ノ島(しま)遺跡や近年大型掘立柱建物跡が発見された中期の東武庫遺跡も著名。古墳時代は前期末から後期にかけて五基の前方後円墳からなる塚口古墳群、単独の立地を示す前期末の水堂(みずどう)古墳などがある。なかでも園田大塚山(そのだおおつかやま)古墳出土の鉄製鋸を含む木工具類は著名であり、木工集団の伝承をもつ為奈氏、猪名部との関連が想定されている。古代市域は川辺(かわべ)郡の南部、武庫郡南東部の一部からなる。市域北部の猪名川右岸地域は「和名抄」所載の川辺郡為奈(いな)郷の一部に比定され、市域東部を同郡余戸(あまりべ)郷に比定する説もある。また武庫郡雄田(おた)郷・武庫郷が市域に比定される。上坂部の伊佐具(かみさかべのいさぐ)神社は「延喜式」神名帳所載の同名社に比定される。寺院には法隆寺式の伽藍配置をもつ猪名寺廃寺、奈良・平安期の古瓦が出土し中世まで存続した若王寺(なこうじ)遺跡がある潮江(しおえ)地区字東大寺(とうだいじ)からも奈良時代の古瓦が出土しているが、大型倉庫遺構の検出と墨書土器などから、東大寺領猪名庄に関係する遺跡と考えられる。また中(なか)ノ田(た)遺跡では掘立柱建物群跡が発見されている。条里は東部では豊島(てしま)郡南条と川辺南条の一部、西部では武庫東条に属する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「尼崎市」の意味・わかりやすい解説 尼崎〔市〕あまがさき 兵庫県南東端,大阪湾にのぞむ市。猪名,神崎,武庫川の間の沖積地にあり,猪名,神崎川をへだてて大阪市に接する。 1916年市制。 36年小田村,42年大庄,立花,武庫の3村,47年園田村を編入。行政上は兵庫県に属するが,交通,経済的には大阪市との結びつきが強い。古くは海士ヶ崎の名で知られた漁村。江戸時代は青山氏,松平氏らの阪神間唯一の城下町として発展したが,現在では戦災や市街地化で,旧寺町や築地町の一部を除き城下町時代の面影はない。明治中期以後,地の利と工業用水に恵まれたことから臨海地域と神崎川流域を中心に各種工場の進出が相次ぎ,重化学工業都市として急速に発達。工業化に伴い大気汚染,地盤沈下などの公害が深刻化し問題となった。田能遺跡,広済寺の近松門左衛門の墓はともに史跡に指定されている。 95年の兵庫県南部地震では大きな被害を受けた。 JR東海道本線,名神高速道路をはじめとする主要鉄道,道路が東西に通じる。面積 50.72km2。人口 45万9593(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報 Sponserd by