日本歴史地名大系 「塚口村」の解説 塚口村つかぐちむら 兵庫県:尼崎市旧川辺郡地区塚口村[現在地名]尼崎市塚口町一―六丁目・塚口本町(つかぐちほんまち)一―八丁目・南塚口町(みなみつかぐちちよう)八丁目森(もり)村の北に位置し、北は御願塚(ごがづか)村(現伊丹市)。字名に安堂寺(あどうじ)・明神(みようじん)・又太郎免(またたろうめん)・楽馬(らくば)・上慶長(かみけいちよう)・下慶長・西塩辛(にししおから)・東塩辛・山廻(やままわり)・花折(はなおれ)があった。中世から塚口御坊(現真宗興正派正玄寺)の寺内町として栄えた。文明一五年(一四八三)九月に本願寺蓮如が有馬(ありま)温泉(現神戸市北区)での湯治の帰路に猪名野(いなの)・昆陽(こや)池(現伊丹市)を経て神崎(かんざき)に向かっているが、その途中塚口に立寄り、「ツカ口ト云フタカキ所ニ輿ヲタテ、遠見シケルホトニ、アマリノオモシロサニ、シハラク休息シケリ」と述べている(「本願寺蓮如摂州有馬湯治記」広島大谷派本願寺別院文書)。蓮如との関係は明確ではないが、正玄(しようげん)寺は応永一六年(一四〇九)創建の寺伝をもち、文明三年七月に本堂が焼失、同六年に経豪が下向して再建されたと伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by