三室郷
みむろごう
現三室・宮本などを含む地域に比定され、芝川右岸の大宮台地上に位置する。御室とも書く。氷川女体神社には性尊らによって書写された正慶二年(一三三三)以降の大般若経が伝存しているが、そのなかには「御室女躰御経」「御室大明神不断経」「御室大明神御経」などの文字が散見される。大永四年(一五二四)八月二六日、軍勢甲乙人らの濫妨狼藉を停止する旨を記した北条氏綱制札(氷川女体神社文書)が「三室之郷」に宛てて発給されている。氏綱は同年一月江戸城を攻略して武蔵国への進出拠点を確保したが、小田原北条氏の勢力が当郷周辺に及んできたことがうかがえる。仙波中院(現川越市)を本寺とする中尾の吉祥寺が本寺の統制に違背して訴えられた事件があるが、それに関連する永禄一〇年(一五六七)一一月二八日の深大寺円定書状(中院文書)や同一一年二月一〇日の喜多院仙海書状(同書)のなかに「三室之吉祥寺」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
Sponserd by 