三開山城跡(読み)みひらきやまじようあと

日本歴史地名大系 「三開山城跡」の解説

三開山城跡
みひらきやまじようあと

[現在地名]豊岡市駄坂大篠岡香住木内

豊岡盆地中央部東縁の三開山(二〇一・六メートル)にあり、南と東は穴見あなみ谷に臨み、周辺を六方ろつぽう川の支流穴見川が取囲む。三開山は山容から但馬富士ともよばれる。見開山城とも記した。「後鑑」によると建武四年(一三三七)新田義貞の子義宗を当城に迎えて但馬南朝勢の拠点化を図ったが、康永三年(興国五年、一三四四)二月、山名時氏がこれを攻めて落し、時氏は城に入って但馬守護を称したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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