上中関村(読み)かみなかぜきむら

日本歴史地名大系 「上中関村」の解説

上中関村
かみなかぜきむら

[現在地名]阿智村大字春日かすが

現阿智村の東端に位置し、北は山本やまもと、東は竹佐たけさ(いずれも現飯田市)、南は中関なかぜき、西は駒場こまばに接する。

江戸時代は初め宮崎氏の支配下にあった(信州伊奈郷村記)が、慶長六年(一六〇一)幕府領となり、中関村と分離した(長野県町村誌)

御役所(謂)書付(宮崎文書)によれば、宝暦四年(一七五四)一月、村に代官所が置かれ、上伊那の飯島代官所の代官大草太郎左衛門支配下のうち下伊那約五千石を上中関代官所が受け持ち、手代の柳田茂兵衛が支配したとある。同一一年再び飯島代官所で伊那郡を残らず支配することになったが、同一三年九月再度上中関に陣屋を建て代官所を置くことになった。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 春日村 駒場

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