上仙川村(読み)かみせんがわむら

日本歴史地名大系 「上仙川村」の解説

上仙川村
かみせんがわむら

[現在地名]三鷹市新川しんかわ一丁目・同四―六丁目・中原なかはら一―三丁目

野川のがわ村の南に位置し、西は深大寺じんだいじ(現調布市)。田園簿に村名がみえ、田二七石余・畑八五石余、旗本柴田勝重領。江戸時代以前は金子弾正の所領であったと伝えられ、江戸初期に柴田勝重の知行地となる。勝重は柴田勝家の嫡孫で、徳川家康に召出されて上野国で二千石を与えられ、大坂の陣の功として当村・中仙川村および入間郡藤沢ふじさわ(現埼玉県入間市)の計五〇〇石を加増されたという。元禄一一年(一六九八)その嫡孫勝門は知行地が三河国額田ぬかた宝飯ほい二郡に移り、当村は幕府領となり(風土記稿・寛政重修諸家譜)、幕末に至る「風土記稿」では家数一四。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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