市北部、武蔵野段丘の南縁に位置する。浮岳山
「風土記稿」に鎌倉幕府の御家人某が寺内へ乱入し放火したため堂塔以下を焼失したと伝えているが、それが事実であったとしてもまもなく再興されたとみえ、以下のように数々の宗教活動を反映する文化財や文筆作品が残されている。寺名を記す最古の資料は当寺旧蔵の文永四年(一二六七)一〇月日の銅製磬銘(現神奈川県相模湖町善勝寺蔵)で、裏面に「武州深大寺 深沙王堂
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
東京都調布市深大寺元町にある天台宗の寺。浮岳山(ふがくさん)昌楽院(しょうらくいん)と号する。本尊は恵心僧都(えしんそうず)(源信)作と伝える阿弥陀如来(あみだにょらい)。寺名は、湧水(わきみず)の豊かなこの地に祀(まつ)られた水神深沙(じんじゃ)大王にちなむという。733年(天平5)満功(まんくう)の開創と伝えられ、初めは法相(ほっそう)宗に属したが、貞観(じょうがん)年間(859~877)に大楽(だいらく)大師恵亮(えりょう)が再興して天台宗に改宗。991年(正暦2)、元三(がんさん)大師(慈恵(じえ)大師、良源)が人々を救いたいという大願により自刻像をつくり、高弟慈忍和尚(じにんおしょう)と恵心僧都が東国を導くためその尊像を深大寺に移して祀り、以後関東第一の密教道場として大いに栄えた。室町時代、北条氏の家臣世田谷の吉良(きら)氏の信仰を受けて再興。1590年(天正18)北条氏の滅亡によって衰微したが、江戸時代になって徳川家康の守護不入朱印状(ふにゅうしゅいんじょう)によって保護され、寺領50石の寄進を受けて再建された。寺宝の銅造釈迦如来(しゃかにょらい)倚像(いぞう)は関東で数少ない白鳳(はくほう)時代(645~710)の古仏、また梵鐘(ぼんしょう)は永和(えいわ)2年(1376)の刻銘があるもので、いずれも国重要文化財。なお、名物深大寺そばは江戸時代には門前で栽培され将軍家に献上された。境内には本堂、元三大師堂、深沙大王堂などがあり、雑木林に覆われており、高浜虚子像ほか文学碑も多い。例年3月3・4日は元三大師大祭で、厄除(やくよ)け・諸願成就の大護摩(ごま)供養が行われる。当日は七転八起(ななころびやおき)の縁起だるま市があり、参詣(さんけい)者でにぎわう。
[中山清田]
東京都調布市北部にある地区。武蔵野(むさしの)台地上に位置し、深大寺、深大寺城跡がある。1961年(昭和36)開園の都立神代植物公園(じんだいしょくぶつこうえん)(2010年5月現在約48万6537平方メートル)には、約4800種類の植物が植えられ、大温室、植物多様性センターなどの施設がある。
[編集部]
東京都調布市にある天台宗の寺。山号は浮岳山。寺伝によれば,733年(天平5)満功上人の開基とされる。満功は福満童子が水神深沙大王(深沙大将)に助けられ,武蔵柏野の里の長者の家に入婿して生まれた子で,後に法相宗の奥旨を極めたと伝える。寺地は武蔵野台地の谷に位置しており,多くの湧泉が周囲にあることからこうした水神説話が生まれた。創建当初,宗旨は法相宗であったが,貞観年間(859-877)恵亮が住持のときに天台宗に改宗した。中世に入り一時衰退したが,1591年(天正19)徳川家康が寺領50石を寄進し再興にあたっている。寺宝に釈迦如来像(重要文化財)があり,千葉県の竜角寺蔵薬師如来像とともに関東地方での白鳳期金銅仏の代表例である。毎年3月3,4日のだるま市には,厄よけだるまを買い求める人々でにぎわう。寺の周囲は江戸時代にはソバ粉の産地として知られ,現在でも門前には〈深大寺そば〉の店が二十数軒ある。付近には戦国時代平山城の一つである深大寺城址,1961年に開園した都立の神代植物公園などもあり,武蔵野の景観を残している。
執筆者:根本 誠二
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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※「深大寺」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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