上弘部村(読み)かみひろべむら

日本歴史地名大系 「上弘部村」の解説

上弘部村
かみひろべむら

[現在地名]今津町上弘部

饗庭あいば野の北、石田いしだ川右岸にあり、東は下弘部村。もと弘部郷の内で、往古は弘部野といったが、永正年間(一五〇四―二一)早川清左衛門が開発したと伝える。天正一五年(一五八七)九月の御蔵入目録(芦浦観音寺文書)に「上弘部ゆふ村」とあり、高五三四石余。慶長七年(一六〇二)検地帳(高島郡誌)藺生ゆう村の高を含み、上々田一〇町三反余・石盛一石五斗代、上田五町四反余・一石四斗代、中田六町五反余・一石三斗代、下田四町三反余・一石二斗代、下々田一町二反余・一石代、上々畑一町余・一石二斗代、上畑一町二反余・九斗代、中畑一一町八反余・七斗代、下畑一二町余・六斗代、下々畑四町七反余・五斗代、屋敷七反余・一石二斗代、荒八町五反余・五斗代、田畑合計六八町三反・分米六三五石余とある。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

《「晋書」杜預伝から》竹が最初の一節を割るとあとは一気に割れるように、勢いが激しくてとどめがたいこと。「破竹の勢いで連戦連勝する」[類語]強い・強力・強大・無敵・最強・力強い・勝負強い・屈強・強豪・強...

破竹の勢いの用語解説を読む