今津町
いまづちよう
面積:一二〇・九五平方キロ
琵琶湖北西岸に位置し、北東はマキノ町、北は福井県三方郡美浜町、西は同郡三方町、同県遠敷郡上中町、南は朽木村・安曇川町・新旭町に接する。石田川と湖岸に沿って平地が開けるが、西部の大部分は山岳地帯となる。湖岸沿いをJR湖西線・国道一六一号が南北に通る。石田川に沿って東西に国道三〇三号(九里半街道)が福井県小浜市へ向かって延びる。
今津町
いまづまち
[現在地名]高砂市高砂町今津町
高砂町方二八町の一つ。元禄期(一六八八―一七〇四)の高砂町図(船津家蔵)によると、南堀川沿いに東は高砂川から西は魚店町(のち魚町と改称)までの東西に連なる町並。南堀川沿いに船着場・荷揚場があり、問屋の蔵が建並ぶ問屋町であった。安永二年(一七七三)の棟数一四・竈数一三・店借三、人数五六、うち田地持五(「高砂町方明細帳写」船津家文書)。天保一三年(一八四二)の家数一三・人数四六で、町年寄網屋利助のほか組頭が一人いた(「宗門人別帳」菅野家文書)。当町には木下屋利兵衛ほか三人の大蔵元がおり、諸藩領・旗本領の年貢米を取扱っていた(「蔵元定法蔵鋪運賃極連判帳」工楽家文書)。
今津町
いまづまち
[現在地名]岩国市今津町五丁目
錦川の川口近く、今津の川端にあり、慶長の城下建設計画では武家地になっていたが、その中央部の一区画を慶安初年に町地に変えたものである。
慶安四年(一六五一)の検地で、初めて町屋敷三四軒が登録された。延宝三年(一六七五)、元禄一六年(一七〇三)、宝永七年(一七一〇)に火災があり、その度ごとに町地は拡張した。享保一六年(一七三一)には家数七七軒、本町通一町四五間、上横町四七間、中横町三五間、下横町五三間とある。しかし、その翌年また大火があり、本町筋は長さ二町に拡張した。町地は拡大しても今津町は一町で、町年寄が一人、目代も一人で、町奉行の支配下に置かれていた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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