上村嶺虢国墓(読み)じょうそんれいかくこくぼ(英語表記)Shàng cūn lǐng guó guó mù

改訂新版 世界大百科事典 「上村嶺虢国墓」の意味・わかりやすい解説

上村嶺虢国墓 (じょうそんれいかくこくぼ)
Shàng cūn lǐng guó guó mù

中国,河南省三門峡市上村嶺にある西周時代後期から春秋時代前期の虢国貴族の墓群。虢は周と同姓の国であるが,周の文王の弟虢仲が初めて封ぜられた西虢のほか,文王の弟虢叔の封ぜられた東虢があり,さらにその後の移動によって,南虢,北虢(山西省平陸県)がある。上村嶺虢国墓はその地理的位置から北虢のものと推定されている。黄河三門峡ダム工事に伴って1956,57年に中国科学院考古研究所黄河水庫考古隊によって発掘調査された。遺跡は三門峡市区内,陝県の東方4.7kmの黄河南岸の台地上に存在する。南北280m,東西200mの範囲から墓234基,車馬坑3基,馬坑1基が発見されている。墓はすべてが長方形竪穴墓で,大・中・小に分けられ,大型墓の最大は長さ5.42m,幅3.37m,小型墓の最小は長さ1.92m,幅0.85mであった。大多数の墓は木槨木棺を伴っていたが,無槨・無棺の墓も2基発見されている。副葬品の数量は墓の規模によってかなり異なるが,大型の1052号墓などには礼器(祭祀用の容器),武器,工具,車馬具など多数の青銅器が納められ,中型・小型墓には陶器や少量の玉石器が納められていた。上村嶺虢国墓のなかで,特に注目される1052号墓からは〈虢大子元徒戈〉の銘のある青銅戈が出土し,墓の西側10mには10両の車と20頭の馬を埋葬した車馬坑が存在した。この1052号墓は虢国太子の墓と考えられている。
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

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