車馬坑(読み)しゃばこう(その他表記)chē mǎ kēng

改訂新版 世界大百科事典 「車馬坑」の意味・わかりやすい解説

車馬坑 (しゃばこう)
chē mǎ kēng

中国古代の祭祀,墓葬に伴う,車馬を埋めた坑。車馬を祭祀に伴って埋めることは殷代にみられる。また,王,諸侯貴族の大型墓に伴う陪葬として,殷代から西周春秋戦国の各時代にみられる。河南省安陽の殷墟では,宗廟と思われる大型建築物にともなう小坑が多くあるが,これは建築に伴う祭祀の犠牲を埋めた坑で,首のない犠牲者,羊,銅器などを埋めた坑に混じって,車馬坑もあり,これは3人2馬,3人4馬の戦車を含む軍隊の陣列を表しているとされる。また殷墟の大型墓には,墓道の一部に車馬坑があり,武官村大墓では4頭立て馬車4両分が入れられていた。大型墓のそばに車馬坑をつくることもある。西周時代では,陝西省長安張家坡西周墓(張家坡遺跡),北京市房山県黄土坡燕国墓,河南省濬県(しゆんけん)辛村衛国墓などの大型墓に伴うものがあり,張家坡2号車馬坑は南北5.6m,東西3.4m,深さ2mの坑内に,北に2頭立ての車,南に4頭立ての車が並んでいた。辛村衛国墓の3号車馬坑には車12両,馬72頭が入れられていた。車馬坑だけでなく,墓坑の上部の埋土中にも車馬が入れられたことが辛村衛国墓で知られる。

 西周時代末期から春秋時代初期にかけての河南省三門峡市上村嶺虢国(かくこく)墓でも4基の車馬坑が発見され,その中でも1052号墓に伴う1051号墓は長さ29m,幅約3.5m,深さ3.05mの細長い坑内に車10両が南北に1列に並び,20頭の馬も埋められていた。戦国時代の車馬坑としては,河南省輝県古墓群琉璃閣の131号車馬坑が有名で,これも東西が21m,南北7.8m,深さ4.4mの大坑で,西側に車19両が2列に並び,馬は東側にかためて入れられていた。埋葬された車馬は,王や貴族たちが死後生前と同様に使用すると考えられて陪葬されたのである。車馬坑を伴わない少し小さい貴族墓では,墓室内に車馬具を入れているが,これも同じ理由による。
始皇陵
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「車馬坑」の意味・わかりやすい解説

車馬坑
しゃばこう
Che-ma-keng

中国の古墓で,車と馬とを副葬した竪坑。貴人の墓には車馬を陪葬する風習があり,たとえば安陽県大司空村 175号墓 (殷) からは,馬4頭,車1両,人骨1体が発見された。中央に車があり,南面して,長柄両側に馬が2頭ずつ横たわっていた。長安県張家坡第2号車馬坑 (西周) からは,2馬制と4馬制の車馬が発見され,また輝県琉璃閣第 131号墓 (戦国) からは,北列から 11両,南列から8両の車が発見されている。これらの車は,いずれも2輪車で,中央に1本の長柄があり,左右に2~4頭の馬をつけているのが特徴である。

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