上桂俣村
かみかつらまたむら
[現在地名]櫛引町桂荒俣
東荒屋村の北、それぞれ北流する内川に西方を,志田堰に東方を画された区域で,西部を六十里越街道が縦断する。慶長一六年(一六一一)の検地帳(安野文書)によれば、当村は鶴ヶ岡城将小国摂津守の一円知行地で、高四千七四〇刈、年貢高は四六石余、屋敷は五筆で,一〇四本の御役漆木が植えられていた。元和九年(一六二三)の検地帳(同文書)では高一五〇石、屋敷六筆、反別は田方六町八反余・畑方九反余・屋敷四反余で、田は上田、畑は下畑が最も多い。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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