うち‐がわ‥がは【内川】
- 〘 名詞 〙 本流に注ぎ込んでいる流れ。支流。
- [初出の実例]「泠子釣、先は内川堀池等也」(出典:河羨録(1743頃か)下)
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報 | 凡例
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内川
うちかわ
東田川郡櫛引町板井川字堰根下で青竜寺川東岸から分岐して北流。櫛引町のほぼ中央を貫流して鶴岡市に入り、遠賀原で東へ苗津川が分れる。内川本流は西へさらに北、東へと蛇行しながら市内中心部を流れ、鳥居町東方で苗津川を合せて北東流し、道形字道斎で赤川に合流する。流路延長約一六キロ。古くは乱流する赤川の本流で、慶長年間(一五九六―一六一五)の最上氏による治水工事の結果、赤川の支流となり、外川(赤川本流)に対し内川とよばれるようになったとされる(東田川郡の→赤川)。最上氏以降鶴ヶ岡城東側の外堀の役割を果し、三日町川ともよばれた(享保一七年「熊出川用水組合高之覚」二口文書など)。
延宝六年(一六七八)の城下絵図では、城下の南白銀町西方を北流し、七日町と上肴町の間を流れ、一日市町・十日町・五日町・三日町・八間町の西を北流。
内川
うちかわ
放生津潟と庄川を結ぶ二級河川。富山湾に通じる放生津湊口を境に東内川(流路延長二・六二キロ、単に内川とも称する)と西内川(牧野川、同〇・八キロ)に分けられる。正保四年(一六四七)の「越中道記」によると、湊口付近の内川は幅二〇間、深さ三―四尺であった。放生津潟は東内川によって富山湾と結ばれ、放生津町はその河口を占めた。現在幅二〇メートル、水深約二メートルで、二の丸橋・放生津橋・東西橋(荒屋橋)・山王橋・神楽橋・新中の橋・中の橋・新西橋、湊口に湊橋が架かる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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