上槻瀬村(読み)かみつきせむら

日本歴史地名大系 「上槻瀬村」の解説

上槻瀬村
かみつきせむら

[現在地名]三田市上槻瀬

下槻瀬村の北、大部分山地で、東部を南流する羽束はつか川流域に平坦地が開けている。もと槻瀬村が領内において下槻瀬・上槻瀬に分村したとみられ、享保二〇年(一七三五)摂河泉石高調に上槻瀬村とみえ、高二七三石余。御領地雑事記(森本家文書)によれば家数五七・人数三一二、寺一、宝永八年(一七一一)畦倉あぜくら新田三石余を開拓していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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