東部(読み)とうぶ

精選版 日本国語大辞典 「東部」の意味・読み・例文・類語

とう‐ぶ【東部】

〘名〙 ある地域の東の部分
輿地誌略(1826)三「東部は多山、西部肥沃なり」

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デジタル大辞泉 「東部」の意味・読み・例文・類語

とう‐ぶ【東部】

その地域の東よりの部分。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「東部」の意味・わかりやすい解説

東部
とうぶ

長野県東部、小県郡(ちいさがたぐん)にあった旧町名(東部町(まち))。現在は東御(とうみ)市の北部を占める一地区。1956年(昭和31)田中町と禰津(ねつ)、和(かのう)の2村が合併して成立。1958年滋野(しげの)村を編入。2004年(平成16)北佐久(きたさく)郡北御牧(きたみまき)村と合併、市制施行して東御市となる。旧東部町は、北東部で群馬県に接し、上田(うえだ)、小諸(こもろ)両市の中間に位置する。旧町域は湯ノ丸山や烏帽子(えぼし)岳南麓(ろく)の火山灰土壌で緩やかな斜面をなし、その末端は千曲(ちくま)川で終わる。川に沿ってしなの鉄道と国道18号が走る。また、山麓部には、上信越自動車道が走り、東部湯の丸インターチェンジがある。高速道路と並行して、軽井沢、小諸、上田を結ぶ浅間(あさま)山麓広域農道(通称浅間サンライン)が走り、沿道は住宅地となり、大型店が進出している。また、浅間サンライン沿いは巨峰種のブドウリンゴのほか、特産のカシグルミ畑地が多く、また工場の進出もみられる。近世北国街道(ほっこくかいどう)が通り、田中宿、海野(うんの)宿が置かれた。海野宿旧態をよくとどめ、町中を堰(せき)が流れ、出桁(でげた)造り、海野格子、卯建(うだつ)などのみられる民家が並び、宿場・養蚕町として重要伝統的建造物群保存地区に選定(1987)されている。国指定史跡に戌立石器時代住居跡(いぬたてせっきじだいじゅうきょあと)がある。江戸初期の民家である春原家住宅(すのはらけじゅうたく)は国指定重要文化財。湯ノ丸山南東麓から群馬県境の地蔵峠を越えていく山道沿いには約100体の観音石仏(百体観音)があり、鹿沢(かざわ)温泉(群馬県)へ抜けるドライブコースとなっている。峠付近は湯ノ丸高原で、レンゲツツジの群落やスキー場があり、上信越高原国立公園の一部。

[小林寛義]


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「東部」の意味・わかりやすい解説

東部
とうぶ

長野県東部,上田盆地東部,千曲川右岸にある地区。旧町名。 1956年田中町,禰津 (ねつ) 村,和 (かのう) 村が合体して東部町が成立。 1958年滋野村を編入。 2004年4月,北御牧村と合併し東御市となる。中心集落の田中は北国街道の宿駅で,昭和初期までは製糸工業が盛んであった。信越本線 (現しなの鉄道) の駅前集落として発展し,周辺農村の商業の中心。江戸時代後半の宿駅をなした本海野は宿場の面影を残しており,真田氏が上田の城下町を形成する際に町人町とした海野の商人の出身地。付近一帯の農村部は火山泥流地が多く,稲作のほかクルミ,リンゴ,ブドウなどの果樹と高冷地野菜の栽培が行なわれる。力士雷電為右衛門の生家跡,重要文化財春原 (すのはら) 家住宅,史跡戌立 (いんだて) 石器時代住居跡などがある。地区の一部は上信越高原国立公園に属する。国道 18号線が通る。また上信越自動車道が開通しインターチェンジができたことで,東京までの実質的な距離も縮まった。

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改訂新版 世界大百科事典 「東部」の意味・わかりやすい解説

東部 (とうぶ)

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