日本歴史地名大系 「上渋谷村」の解説 上渋谷村かみしぶやむら 東京都:渋谷区上渋谷村[現在地名]渋谷区渋谷一丁目・神南(じんなん)一―二丁目・宇田川町(うだがわちよう)・神山町(かみやまちよう)・代々木神園町(よよぎかみぞのちよう)、神宮前(じんぐうまえ)一・六丁目など現渋谷区の中央部に位置し、江戸城下赤坂口から相模国厚木に至る大山道の一である矢倉沢(やぐらさわ)往還が通る。江戸時代初期は渋谷村一村で、寛永二年(一六二五)の徳川秀忠知行宛行状(記録御用所本古文書)に渋谷村とみえ、村内の七五石余を三浦義武に、同六年には森川長次に二七石余を宛行っている(同書)。田園簿によると、渋谷村の田方四五三石余・畑方二三五石余、うち幕府領九八石余・旗本戸田領五八石・同三浦領四〇石・同三浦領七〇石・同森川領二五石・同尾崎領二五石・同吉田領一〇〇石・同野間領五〇石・同島田領二〇〇石、清昌寺(青松寺)領二二石、ほかに幕府領野米一二俵・野銭永四貫五〇〇文と見取場の畑五町余があった。寛文三年(一六六三)下谷長者(したやちようじや)町(現台東区)にあった根生(こんしよう)院が大和国の寺領の替地として渋谷村内一〇〇石を与えられる(寺社備考)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by