上片田村(読み)かみかたたむら

日本歴史地名大系 「上片田村」の解説

上片田村
かみかたたむら

[現在地名]三和町上片田

長井戸ながいど(現在は水田)東枝の上流西岸に所在。南北に台地が続き、東と西はヤト田、北と南は平地林、東は駒籠こまごめ村。

天正二年(一五七四)の古河公方足利義氏料所目録(喜連川文書)の「上幸嶋」のうちに「かたゝ 芳春院」とあり、戦国期には下片田村とともに片田郷を形成し、芳春ほうしゆん(現古河市にあった徳源院)の支配地。「寛文朱印留」には「上片田村」とあり下総関宿藩領。寛文一一年(一六七一)の関宿領茂右衛門御代官場石高覚帳(松本好司文書)に「一高弐百八拾九石八斗九升 外ニ九拾六石八斗六升六合」とあり、合計石高三八六・七五六石。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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