猿島郡(読み)さしまぐん

日本歴史地名大系 「猿島郡」の解説

猿島郡
さしまぐん

面積:二〇四・九三平方キロ
三和さんわ町・総和そうわ町・猿島さしま町・さかい町・五霞ごか

県南西部、利根川流域の猿島台地に位置。五霞村が利根川南岸に、他の四町が北岸に所在する。東は結城郡、北は結城市・栃木県、西は古河こが市・埼玉県、南は埼玉県・千葉県・岩井市

猿島台地は標高二〇メートル内外であるが、利根川縁の長井戸ながいど沼・水海みずうみ沼・釈迦しやか沼・いち沼・鵠戸くぐいど沼などより狭長な低地が全域に入り、そこが穀倉地帯となっている。東部には飯沼新田いいぬましんでんがあり、用排水路の東仁連ひがしにれ川・飯沼川・西仁連川が流れる。主要道路は南北に日光東街道(境―結城街道)・境―古河街道・境―間々田ままだ街道、東西に下妻―栗橋くりはし街道・境―岩井街道・境―下妻街道があり、国道一二五号が北部を横断するが鉄道はない。

〔原始〕

おもな縄文遺跡は飯沼新田縁辺およびその支沼に三和町の恩名観音面おんなかんのんづら遺跡、猿島町の夏込なつこめ遺跡・柿の沢かきのさわ貝塚・神明しんめい遺跡・塚越つかごし貝塚、利根川流域に境町の南坪みなみつぼ遺跡・マイゴつぼ貝塚・塚崎つかざき貝塚、五霞村の石畑いしはた貝塚・冬木ふゆき貝塚、総和町大橋おおはしA遺跡・大橋B遺跡などがあり、住居跡・土器・石器・土偶などが出土。

おもな弥生遺跡には総和町の浅間南せんげんみなみ遺跡・西原にしはら遺跡・萩山はぎやまA遺跡、三和町の西にしのうせんやま遺跡、猿島町の香取裏かとりうら遺跡・万蔵院まんぞういん遺跡、境町の南長井戸みなみながいど遺跡・かわいやま貝塚などがあり、住居跡・土器・祭器用の皿・磨製石斧・石錘などが出土。古墳は五霞村の穴薬師あなやくし古墳、境町の八竜神塚はちりゆうしんつか古墳・横塚よこつか古墳群などが知られる。

〔古代〕

天平勝宝七年(七五五)筑紫へ派遣された防人の歌が「万葉集」巻二〇にみえているが、そのなかにさしま郡の刑部志加麿の歌があり、八世紀半ばには大和朝廷の勢力下に入っていたことがわかる。「続日本紀」神護景雲三年(七六九)八月一四日条に「下総国嶋郡、焼穀六千四百余斛」、宝亀四年(七七三)二月八日条に「下総国嶋郡人従八位上日下部浄人賜姓安倍嶋臣」とあり、火災・賜姓の事実が知られ、延暦九年(七九〇)一二月一九日条によれば嶋郡の主帳(郡司の第四等官)正八位上孔王部山麻呂が外正六位上に昇叙されている。「三代実録」貞観六年(八六四)一一月二二日条によれば下総国猿嶋さしま郡など五郡が水害・旱魃のため調・庸を二年間免除されている。

和名抄」の嶋郡は刊本に「佐之万」とあり、とうだ郷・八俣やまた郷・高根たかね郷・石井いわい郷・葦津あしづ郷・色益しかや郷・余戸あまりべ郷の七郷があり、塔郷・高根郷・石井郷は現岩井市、他の四郷は三和町・境町・猿島町に比定され、総和町・五霞村は葛餝かつしか郡、また三和町の一部は結城郡に属していたと思われる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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