手を洗い口をすすいで清める水,すなわち手水をためておく鉢。多くは石造で,自然石をそのまま用いたもの,貝,舟,富士,一文字,棗(なつめ)などの形に加工したもの,また四方仏や五輪塔の水輪(下から2段目の石),橋杭などを利用したものがあり,銅製,陶磁器のものもある。神仏に詣でるときに手を清め口をすすぐ風習は古く,伊勢神宮や上賀茂神社には,川に石畳をしつらえて御手洗(みたらし)が設けられている。また神嘗祭(かんなめさい)でも御手洗の儀礼が行われていた。社寺においていつごろから手水鉢が用いられたのかはよくわからないが,鎌倉時代には石を加工したものが多く用いられるようになり,15世紀末の絵巻《融通念仏縁起》には,京都清凉寺で堂前に据えられた手水鉢を使う参詣人が描かれている。遺品としては元徳3年(1331)在銘の,当麻(たいま)寺の〈水船形手水鉢〉が古いものに属する。
手水鉢は書院や方丈などの縁先にも設けられるようになり,14世紀の《法然上人絵伝》では,木の柱を立てて台を据え,その上にひしゃくをそえた曲物(まげもの)の手水桶(ちようずおけ)を置いたり,筧(かけい)で水をひき,縁先に生けこみにした手水鉢の描写がある。のちには厠(かわや)の出入口近くに手水鉢を置くことが一般となり,厠のこと,また用便や洗面,手洗いをも手水と呼ぶようになった(便所)。
茶庭に手水鉢が用いられるようになったのは,武野紹鷗(1502-55)の時代からである。手水鉢の役割は,茶事に臨むに際し,神仏に詣でるのと同様に心身を清浄にするところにあり,《南方録》に〈露地にて亭主の初の所作に水を運び,客も初の所作に水をつかふ,これ露地・草庵の大本也,此露地に問ひ問ハるゝ人,たがひに世塵のけがれをすゝぐ為の手水鉢也〉と説かれている。種々の趣向がこらされ,庭に生けこんで鉢を低く据えたつくばい(蹲踞)や,縁先手水鉢とも呼ばれる丈の高い鉢前(はちまえ)形式の手水鉢が工夫された。水をためておく水穴は,浅い半球形のものが多く,楕円形,角形のものもある。
なお,寺社の手水鉢は水盤(すいばん)とも呼ばれ,四方吹放ちの建物に据えられることが多く,建物を手水屋,水盤舎などと呼ぶ。また皇居清涼殿朝餉間(あさがれいのま)に北接して,天皇が手水を進める場所として手水の間があった。
執筆者:日向 進+宮沢 智士
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
手洗いに使うための水鉢をいう。石造品がもっとも多く使われるが、陶製、鉄製、銅製、木製のものも用いられる。蹲踞(つくばい)用、立ち使い用、鉢前(はちまえ)(縁先手水鉢)用とでは、多少形式を異にするものもあるが、共通して使えるものが少なくない。形式はすこぶる多いが、自然石系、加工物系、利用物系に大別することができる。自然石系では、自然石を見立て適宜水穴をうがったものもあれば、「釜山海(ふざんかい)」のごとく水穴も自然に生じたくぼみを活用する例がある。加工物では、たとえば棗(なつめ)型、鉄鉢型、方形袈裟(けさ)型、水盤型など、円形、方形、多角形を基本に多様な形がくふうされた。また茶の湯の好古趣味は、五輪塔、宝塔、宝篋印塔(ほうきょういんとう)、石灯籠(いしどうろう)、礎石、橋杭(はしぐい)などの部分を活用して、さまざまな意匠の水鉢をつくりだした。とくに鉢前手水鉢では、これらの水鉢の意匠が、しばしば建物に情趣を添え、庭との調和を巧みに演出する。
[中村昌生]
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