上狭川城跡(読み)かみさがわじようあと

日本歴史地名大系 「上狭川城跡」の解説

上狭川城跡
かみさがわじようあと

[現在地名]奈良市西狭川町・狭川東町字シロ山

西狭川にしさがわ町と狭川東さがわひがし町の境界線上、標高約一九五メートルの山上にある。周囲を土塁で囲む長方形の郭で南方空堀腰郭などが存在した。「国民郷士記」に「福岡助宣明応年中 福岡出雲」などがみえ、狭川一族の福岡氏の本拠地。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

関連語 石碑

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む