…94年,なおは金光教の布教師となり,いわば金光教の軒を借りて布教活動をつづけたが,のちに決別して,大本教を独立させた。98年,なおは稲荷講社で霊学や神がかりの行法を学んだ上田喜三郎(のちの王仁三郎(おにさぶろう))とめぐり会った。王仁三郎は翌年には稲荷講社所属の金明霊学会をつくり,非公認の大本教を権力や社会の弾圧から合法的に救うことになった。…
…京都府亀岡市穴太の小作農の長男に生まれた。旧名上田喜三郎。12歳で村の小学校の代用教員をつとめ,小作仕事,牧夫,車引き,牛乳販売などを経験。…
※「上田喜三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...