上覚村(読み)じようかくむら

日本歴史地名大系 「上覚村」の解説

上覚村
じようかくむら

[現在地名]糸魚川市上覚

小富士こふじ(二四一・八メートル)北東山麓にあり、東は新町あらまち村、北は谷内やち村・堀切ほりきり村に接する。正保国絵図に上岩村とあり、高一六六石余と記される。延宝五年(一六七七)の村々高付之帳によれば、地高五二石八斗余・山高一石六斗余、百姓一一名が早川はやかわ谷大肝煎の支配下で、うち五名は他村からの入作と思われる(糸魚川市史)。天和三年郷帳では高二四三石五斗余である。元禄元年(一六八八)年貢割付状によると、大肝煎関沢組支配下高一八一石四斗余で取米六二石二斗余、免三ツ四分余と、大肝煎斉藤組支配下高六二石余で取米二〇石九斗余、免三ツ三分余に分れている(同書)。のちに関沢組支配分は大上覚村、斉藤組支配分は小上覚村とも称した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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