上須恵村(読み)かみすえむら

日本歴史地名大系 「上須恵村」の解説

上須恵村
かみすえむら

[現在地名]須恵町上須恵

若杉わかすぎ山の西麓、須恵川の上流域に位置し、西は須恵村。同村の枝郷(元禄国絵図・天保郷帳)。延宝六年(一六七八)検地帳(田原家文書)では高五七〇石余、うち田高五〇四石余(うち永川成二〇石余)・畠高六五石余で、田圃志の元禄五年(一六九二)の高、石高書上帳案の郡帳高も同じ。寛政期(一七八九―一八〇一)の家数七五・人数一九一、牛二七・馬一二(別本「続風土記附録」)。産神は須恵村の宝満ほうまん宮。福岡藩眼科医田原養全は日本四大眼科に数えられるほどの名声を得て、全国各地から患者が訪れた(文政二年「眼目療治帳」須恵町立歴史民俗資料館蔵)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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