日本歴史地名大系 「上飯山満村」の解説 上飯山満村かみはざまむら 千葉県:船橋市上飯山満村[現在地名]船橋市飯山満町(はさまちよう)・二宮(にのみや)一―二丁目・芝山(しばやま)一―七丁目・西習志野(にしならしの)一―三丁目・駿河台(するがだい)二丁目・前原西(まいはらにし)四―六丁目・同八丁目・中野木(なかのき)一―二丁目高根(たかね)村の南東方に位置する。北西部に飯山満川、南部に前原川が流れ、それぞれの流域に谷津が広がる。飯山満の地名は台地の間の狭い谷間という意。地内の光明(こうみよう)寺に康永四年(一三四五)・文安六年(一四四九)銘の武蔵型板碑が伝えられる。戦国期は高城氏の支配下であったとされ、印西領のうち「志々はざま村」とあり(高城胤忠旧知行高付帳)、西の下飯山満村と一村であった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報