日本歴史地名大系 「下二部村」の解説 下二部村しもにぶむら 福岡県:大牟田市下二部村[現在地名]大牟田市天領町(てんりようまち)一―三丁目・白金町(しらがねまち)・山下町(やましたまち)片平(かたひら)村の西、諏訪(すわ)川河口部右岸にある。北は南大牟田村、同川対岸は加納開(かのうびらき)村。応永六年(一三九九)一一月二〇日、「三池南郷内二分村・同藤田村」が大友親世から肥後野原(のばら)庄(現熊本県荒尾市)を本拠とする小代左近将監(広行)に宛行われた(「大友親世知行預ケ状」小代文書/熊本県史料 中世篇一)。いっぽう室町期の大鳥居知行所領注文(太宰府天満宮文書/大宰府・太宰府天満宮史料一三)には「二部村御供米藤田灯油御供米、小森田方大野方賀江方押妨」とあり、菊池氏の被官らに押領されていたらしい。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報