下傍示村(読み)さげほうじむら

日本歴史地名大系 「下傍示村」の解説

下傍示村
さげほうじむら

[現在地名]大網白里町下傍示

長国ながくに村の東に位置し、土気とけ往還が通り、西部南白亀なばき川が流れる。「家忠日記」の天正二〇年(一五九二)三月条によると、「さけほうし之郷」高三七石余が松平家忠領となっている。文禄三年(一五九四)の上総国村高帳にみえる下待人北村(高二一石)は当村のことと考えられる。寛文八年(一六六八)の鷹場五郷組合帳には下方所とあり、清名幸谷組に属し、旗本宮城領三七石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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