下内竹村(読み)しもないだけむら

日本歴史地名大系 「下内竹村」の解説

下内竹村
しもないだけむら

[現在地名]新発田市下内竹

上新保かみしんぼ村の西南に位置する。はじめ村上藩領で、元和二年(一六一六)の勝田弥兵衛宛村上忠勝知行宛行状(勝田武典氏蔵)に「かちの内下内竹村」九七石一斗と記される。正保国絵図で二七〇石余。万治二年(一六五九)検地帳(新発田市史資料)によると大友組に属し、本田畑二九町五畝余で二七七石一斗余、新田四反八畝余で五石八斗余。のち幕府領となり、寛政一二年(一八〇〇)の水原代官所村々高書上帳(小田島余吉氏蔵)には笹岡組のうちに村名がみえ、二八九石四斗余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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