下多肥村(読み)しもたひむら

日本歴史地名大系 「下多肥村」の解説

下多肥村
しもたひむら

[現在地名]高松市多肥下町たひしもまち

太田おおた村の東にあり、南は上多肥村。同村とともに古代香川郡多配たへ(和名抄)の遺称地。「明月記」寛喜元年(一二二九)一〇月二〇日条に「讃州一村多配」とあり、藤原定家の娘で後堀河天皇中宮に仕えた民部卿典侍因子の出仕料に充てられている。嘉元四年(一三〇六)の昭慶門院領目録案(竹内文平氏旧蔵文書)の讃岐国公領分に郷名がみえ、院庁下文で前中納言中御門為方が相伝知行を認められている。明徳元年(一三九〇)八月三日の中沢信明譲状(中沢文書)によると、丹波国大山おおやま庄地頭で武蔵国中沢郷を名字の地とする中沢氏が、郷内「うなさかのやしろ」を相伝の地としている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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