名字/苗字(読み)ミョウジ

デジタル大辞泉の解説

みょう‐じ〔ミヤウ‐|メウ‐〕【名字/苗字】

家の名。姓。家名。
古代、氏(うじ)と姓(かばね)を総合した称。
同一の氏(うじ)から分かれ出て、その住む地名などにちなんで付けた名。源氏から出た新田足利(あしかが)、平氏から出た千葉・梶原の類。

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精選版 日本国語大辞典の解説

みょう‐じ ミャウ‥【名字・苗メウ字】

〘名〙
① 古代、氏(うじ)の名(な)。また、氏(うじ)と姓(かばね)を総合した称。個人の実名まで含めることもある。国家に対し、殊功のあった時など、「名字を加う」と称して新しい姓(せい)を天皇から授けられることがあった。賜姓(しせい)
※続日本紀‐天平宝字二年(758)八月庚子「内相於国、功勲已高、然猶報効未行、名字未加」
② 同一の氏(うじ)から分かれ出た家の名。祖先を同じくするとされている血縁集団の称。源氏から出た新田、足利の類。
※太平記(14C後)五「御伴の人々の中に名字さりぬべからんずる人を、一両人賜て、武家へ召渡候歟」
③ (「苗字」とも書く) 代々その一家に継承される家の名。同一の血族集団を表わす名称。その家、人の家名(かめい)
※太平記(14C後)三「近き傍(あた)りに左様の名字付たる者ありとも、未だ承り及ばず候」
④ 職業・身分などによって分けられた集団の名称。
※名語記(1275)六「馬部といへるは、左右馬寮の仕人の名字也」
⑤ 個人の実名(じつみょう)。通称に対していう。たとえば源(氏)九郎(通称)義経の義経の部分。名乗(なのり)。諱(いみな)
※中右記‐長治二年(1105)八月一三日「此間大内記申云、奉幣之時宣命之中雖公卿必書入名字、而大臣如何、官文書之中、於大臣全不名字也、伊勢勅使被大臣事全不見也」
⑥ 人の姓と名。姓名。名前。
※保元(1220頃か)上「御供の人人には、関白殿〈略〉大外記師季等也。武士の名字はしるすに及ばず」
※浮世草子・けいせい伝受紙子(1710)三「野沢政右衛門と名字(ミャウジ)を下され」 〔竇鞏‐尋道者所隠不遇〕
⑦ 事物の名称。そのものの名目。呼称。
※高野山文書‐嘉承二年(1107)正月二五日・官宣旨案「就中伊都那河両郡中、十分之八九已為庄領、僅所残一両村也。件一両村、被奉免彼寺者、当国内至于伊都那河両郡者、永可其名字歟者」
⑧ 名跡(みょうせき)
※高野山文書‐応永一二年(1405)六月浜中庄預所職置文「御寄附以来、不給主預所名字、悉皆為院内、致取沙汰之処〈略〉自今以後、如元不預所名字事」
⑨ 仏菩薩の名号。
※百座法談(1110)二月二八日「後にゆめゆめ仏法の名字をとなふる事なかれ」
⑩ 名前と字義。教えとその教義。
※今昔(1120頃か)三「我、大王に寵愛せられて仏法の名字を不聞ず」

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世界大百科事典内の名字/苗字の言及

【氏族】より

…日本中世の族縁呼称の一つであるが,史料の上では,一族,一家,一流などと混用されている場合が多く,はっきりした区別はまだつけられていない。しかし,一族,一家という族縁呼称がある一定の所領を共同知行し,その土地の地名をもってみずからの〈名字〉としている〈名字族〉という性格をもつのに対して,これら名字族がもとをただせば,藤原氏あるいは橘氏,大伴氏であるなどといわれる場合の側面を表現したものこそ,この氏族という呼称の本来のあり方だと考えるべきである。中世の土地売券や処分状,譲状における人々の署名部分を調べてみると,大きく分けて,そのような二つの族縁呼称が混在していることが確認されるが,しかし見落としてならないことは,少なくとも南北朝時代以前にあっては,この二つの族縁呼称の中で,氏族系統をひく族縁呼称が圧倒的に大きな比重を占めていたということである。…

【氏姓制度】より

…上田は,伊刀郡上田邑の地名,三郎は三男の意である。氏姓にかわる苗字は,この字から発達したようで,名字(みようじ)と記すほうが古い。初期の苗字は字の一部で,父子兄弟が称を異にし,居住地や所領の名を苗字としたにすぎないが,やがて他国に移っても,一族の苗字は変わらぬこととなり,12世紀以後,氏姓とおなじように用いられることとなった。…

【氏名】より

…特定個人の同一性を社会的に確定する機能をもった,ひとりひとりに付される呼称で,氏(うじ)と名(な)からなる。〈姓名〉〈名字(苗字)と名前〉〈名前〉などの言い方もある。個人の〈なまえ〉とされる全体(フルネームfull name)は,国により民族により異なっており,名と氏(姓)の組合せによるもの,氏という概念を伴わずに名と父称(母称)の組合せによるもの(アイスランド),あるいは名だけ(ミャンマー,インドネシアの庶民階級など),というところなどがある。…

【中間】より

…鎌倉・室町期の武家の中間は〈主人の弓・箭・剣等を持ちて御供に候し,また警護等のことをつとむ〉(《相京職鈔》)とか,〈折烏帽子に小結して,直衣に大帷をかさね,袴に大口をかさねて著るが中間〉とされ(《玉勝間》ほか),御中間といわれて領主の強制執行などの使者もつとめた。侍(殿原(とのばら)・若党・かせ者など)が名字をもつのにたいして,中間は〈名字なき者〉とされた(《小早川家文書》)。戦国期の農村では,〈ちうげんならばかせものになし,百姓ならばちうげんになす〉(《児野文書》)というように,農民が中間からかせ者へと侍身分に取り立てられるのが名誉・恩賞とされ,〈諸奉公人,侍のことは申すに及ばず,中間・小者・あらし子に至るまで〉(《近江水口加藤家文書》)というように,武家の奉公人には侍,中間,小者,荒子の四つの身分序列が一般的に成立していた。…

【殿原】より

…平安・鎌倉時代に公家や武家男子の敬称(《入来文書》)や対称(〈北条重時家訓〉)として用いられるが,ひろく中世社会では,村落共同体の基本的な構成員たる住人,村人の最上層を占めて殿原,百姓の順に記され,村落を代表する階層として現れる。名字をもち,殿とか方などの敬称をつけて呼ばれ,〈殿原に仕〉える者をもち(《相良氏法度》),〈地下ノ侍〉(《本福寺由来記》)つまり侍身分の地侍として凡下(ぼんげ)身分と区別され,夫役(ぶやく)などの負担を免除されることもあった。後期の村落の名主(みようしゆ)・百姓のうちの名主上層に当たるとみられるが,〈殿原とも百姓として作仕る〉(〈法隆寺文書〉)といわれ,領主からは土地を耕作するかぎり百姓とみなされた。…

【名字の地】より

…名字発生の地。名字は苗字とも記し,氏族が繁衍(はんえん)分出してそれぞれ居所や領地を異にしていく過程で,おもにその地名を付けて同じ氏族間の区別をした,その本になった地を名字の地とよぶ。…

※「名字/苗字」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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