コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

明月記 めいげつき

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

明月記
めいげつき

鎌倉時代前期の歌人藤原定家日記。若干の部分を除いて,漢文体で記されている。現存するものは治承4 (1180) 年2月 19歳のときから,嘉禎1 (1235) 年 74歳のときまで 56年間の記事で,その間にも欠く年がある。しかし,子為家の消息によれば,最晩年の仁治年間 (40~43) の日記もあったらしい。『熊野御幸記』のように独立して存するもの,『明月記略』 (『明月記抄出歌道事』) のように後人により抄出されて行われたものもある。一部は自筆本が巻子本として,または断簡として現存する。作歌活動,古典研究など,文化的記事に富み,故実典礼の記事も詳しく,政情,世相,風俗もよく写されている。文化人定家の偽らざる現実生活の記録として興味深いだけでなく,平安時代末から鎌倉時代へかけての史料として,きわめて貴重である。

出典|ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について | 情報

デジタル大辞泉の解説

めいげつき【明月記】

鎌倉時代、藤原定家の漢文体日記。治承4~嘉禎元年(1180~1235)までの公事故事・歌道に関する見聞などを記し、史料としての価値が高い。

出典|小学館デジタル大辞泉について | 情報 凡例

百科事典マイペディアの解説

明月記【めいげつき】

藤原定家の漢文体日記。別名《照光記》。定家19歳〜74歳(1180年―1235年)の日記で,定家自身の文事,生活の記録や感想とともに,宮廷,貴族,一般庶民の生活も詳細正確に記され,天文関係の記事もある。
→関連項目小倉百人一首寛喜の大飢饉時雨亭文庫千曲川湯郷[温泉]

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト百科事典マイペディアについて | 情報

世界大百科事典 第2版の解説

めいげつき【明月記】

藤原定家の漢文日記。別名《照光記》。原本には19歳に達した治承4年(1180)以降,仁治2年(1241)の死去直前までの分があったが,諸伝本では嘉禎1年(1235)までの56年間分が伝存,自筆本も冷泉家相伝の56巻をはじめ諸所に分蔵されている。日記は有職(ゆうそく)方面の記述にとどまらず,重代の歌人として御子左家(みこひだりけ)を継承,新古今時代を開花させ,晩年古典の書写校勘にはげんだ文学者定家の行動と情念を克明に記録,さらに政治生活,経済生活,家庭生活にも及んでいる。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト世界大百科事典 第2版について | 情報

大辞林 第三版の解説

めいげつき【明月記】

藤原定家の準漢文体日記。現存は1180~1235年の56年間にわたる。定家の和歌・歌学をはじめ、当時の宮中の政治動静を知る上での重要な資料。照光記。

出典|三省堂大辞林 第三版について | 情報

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

明月記
めいげつき

藤原定家(ていか)の日記で「照光記」ともいう。現存は、1180年(治承4)の18歳から1235年(嘉禎1)74歳までの56年間の日次(ひなみ)日記。途中欠脱もあるが、原本の多くが冷泉(れいぜい)家時雨(しぐれ)亭文庫に現存する。冷泉家に残る譲状(ゆずりじょう)によると、仁治(にんじ)年間(1240~43)まで記されたのであった。また、『明月記』の引用は嘉禎(かてい)4年の記事まである。時雨亭文庫現蔵は、1192年(建久3)~1233年(天福1)までの54巻(途中欠脱年あり)で、そのほか諸文庫にも伝存する。定家の生活や個性を知る最大の資料であるほか、歌壇の動きや詠歌事情、『新古今集』撰修(せんしゅう)の実状が詳細に記され、晩年に多くの古典書写をしたその実態が知られる。また、鎌倉初期の公家(くげ)の政争や生活、ときには庶民社会の記事を含んでいて注目される。[有吉 保]
『辻彦三郎著『藤原定家明月記の研究』(1977・吉川弘文館)』

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について | 情報 凡例

明月記の関連キーワード建春門院中納言明月記と超新星八条院坊門局湯郷[温泉]吾妻鏡・東鑑宜秋門院丹後京都東山文庫骨頂・骨張大山崎油座土御門通具冷泉布美子千秋万歳藤原長兼藤原成定有職故実藤原定輔山科教成藤原実房藤原定経熊野街道

今日のキーワード

異常天候早期警戒情報

5日から 8日先を最初の日とする 7日間の平均気温がかなり高い,またはかなり低い確率が 30%以上と見込まれる場合に注意を呼びかけるため気象庁から発表される情報。低温や猛暑が長く続くと,人の活動や農作...

続きを読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android

明月記の関連情報