日本歴史地名大系 「下新入村」の解説 下新入村しもしんにゆうむら 福岡県:直方市下新入村[現在地名]直方市下新入六(むつ)ヶ岳北東麓、犬鳴(いぬなき)川下流域に位置する。南は上新入村、東は感田(がんだ)村・知古(ちこ)村、北は植木(うえき)村など。上新入村とともに中世の新入郷の遺称地。古くは同村と一村で、新入村といった。文明一二年(一四八〇)一月、粥田(かいた)庄の納所は、新入郷内の劔(つるぎ)神社(劔明神とも)に一〇〇文を送っている(同年一二月晦日「粥田庄納所等連署算用状」金剛三昧院文書/高野山文書二)。天文二四年(一五五五)新入郷寺家分の「篠振名」九反などが毛利三郎に与えられているが(同年六月一七日「杉連緒宛行状案」児玉採集文書)、この篠振は地内篠振(しのふり)に比定される。永禄六年(一五六三)新入郷内の万力名が劔明神の大宮主里山掃部大夫に与えられ(同年二月一三日「井上緒高打渡状案」同文書)、また同郷武家分の重久給などが劔明神に寄進されている(同年九月一九日「重久寄進状案」同文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by