日本歴史地名大系 「下秋月村」の解説 下秋月村しもあきづきむら 福岡県:甘木市下秋月村[現在地名]甘木市下秋月現甘木市域の北西部に位置する。村域は小石原(こいしわら)川支流野鳥(のとり)川流域の平地部、および野鳥川に注ぐ高内(こうち)川流域の山間部に展開し、高内川の上流に枝郷の河内(こうち)村(高内村とも)がある(元禄国絵図・天保郷帳など)。夜須(やす)郡に属し、南は上秋月村、東は野鳥村、南西は長谷山(はせやま)村、北は嘉麻(かま)郡泉河内(いずみごうち)村(現嘉穂町)。上秋月村とともに中世の秋月庄の遺称地。元和九年(一六二三)に秋月藩が成立すると同藩領となる。翌寛永元年(一六二四)から秋月町(秋月城下)の町割が始まると、当村の平地部の多くは同町の敷地に取込まれ、町方支配に転じている。同七年に初代秋月藩主黒田長興が安部惣左衛門に命じて開削した新八丁(しんはつちよう)越(秋月街道)が通り、高内で白坂(しらさか)越が分岐した。小早川時代の指出前之帳では秋月町は甘水(あもうず)村に含まれて高付されている。慶長石高帳に村名が載り、慶長七年(一六〇二)の検地高三九一石余、うち大豆一二三石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by