天満宮(読み)テンマングウ

デジタル大辞泉 「天満宮」の意味・読み・例文・類語

てんまん‐ぐう【天満宮】

菅原道真すがわらのみちざねの霊である天満天神を祭った神社。全国各地にあるが、特に大阪市北区の大阪天満宮、京都の北野天満宮太宰府だざいふ天満宮が有名。てんまぐう。→天神2

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精選版 日本国語大辞典 「天満宮」の意味・読み・例文・類語

てんまん‐ぐう【天満宮】

  1. [ 一 ] 大阪市北区天神橋にある神社。旧府社。祭神は菅原道真、野見宿禰命(のみのすくねのみこと)手力雄命(たぢからおのみこと)猿田彦命(さるだひこのみこと)。天暦七年(九五三村上天皇の勅によって創立したと伝えられる。旧中島郷総社。七月二五日に行なわれる天神祭は日本三大祭の一つで、華麗な船渡御で知られる。大阪天満宮。天満天神。天満(てんま)の天神さん。てんまぐう。
  2. [ 二 ] 群馬県桐生市天神町にある神社。旧県社。祭神は天穂日命(あめのほひのみこと)、菅原道真。景行天皇の頃の開創と伝えられ、磯部明神と呼ばれたが、のち桐生氏が北野神社を勧請合祀して改称。桐生天満宮
  3. [ 三 ] 東京都国立市谷保にある神社。旧府社。祭神は菅原道真・菅原道武。延喜年間(九〇一‐九二三)道真の第三子道武の創立と伝えられ、もと本宿(国分寺市・府中市)にあったが、養和年間(一一八一‐八二)現在地に移る。谷保天満宮。谷保天神。
  4. [ 四 ] 高知市天神町にある神社。旧県社。祭神は菅原道真・高視朝臣・北御方。延喜年間(九〇一‐九二三)の創立と伝えられる。潮江天神。潮江天満宮
  5. [ 五 ] ( 神霊となって天満宮にまつられたところから ) 菅原道真をいう。
    1. [初出の実例]「天満宮降誕之地」(出典:都名所図会(1780)二)

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日本歴史地名大系 「天満宮」の解説

天満宮
てんまんぐう

[現在地名]那珂湊市中央一丁目

孤立した丘の北崖下にある。祭神は菅原道真。岩手県宮古みやこ市の長根ちようこん寺旧蔵大般若経奥書(「那珂湊市史料」所収)に「執筆常州吉田郡那珂湊天神別当坊住侶 三昧流門弟金剛位頂範 文和第五暦仲春時正第六番」とあるのが古い。神仏混淆して華蔵けぞう院門徒北野山満福まんぷく泉蔵せんぞう(真言宗)となり、寛文六年(一六六六)破却されて華蔵院内脇寮に移った。

寛文三年の開基帳(彰考館蔵)に創建および由来について

<資料は省略されています>

と記される。徳川光圀が神体を検したところ十一面観音であったためこれを引上げ、元禄八年(一六九五)新たに菅原道真の神像を造り、「常州那珂郡湊村、素有菅廟、我熟視之、非菅氏、神官誤来、安仏像異物、所以除去、新命東条常言、彫刻彼像、鎮座社内云 元禄乙亥之春 源光圀粛具」と刻記し奉納した(水戸義公全集)


天満宮
てんまんぐう

[現在地名]八戸市売市 長根

売市うるいちの北東の台地端に位置する。祭神は菅原道真命で、白山比売命・武甕槌命・応神天皇・大山祇命・伊邪那美命を合祀。旧村社。藩政期には天神堂と称したが、明治三年(一八七〇)現社名に改めた。

寛文五年(一六六五)無量院の御立願状(常泉院文書)に「一同所(八戸根城)天神 鐘緒納事」とある。宝暦五年(一七五五)の堂林寺門間数改書上帳(同文書)には「天神堂」とあり、寛保三年(一七四三)中村忠治郎・村井又七・川野茂兵衛の建立とされ、別当は永久坊とある。明治初年の「新撰陸奥国誌」は文明二年(一四七〇)の勧請とするが、八戸家伝記(南部家文書)では康正三年(一四五七)八戸政経(根城南部氏一三代)が蠣崎蔵人征討の際天神に戦勝を祈願し、乱平定後城の東方に社殿を建立したといい、別当は東禅とうぜん寺とされる。


天満宮
てんまんぐう

[現在地名]城島町上青木

宮開みやひらきに鎮座。旧郷社。祭神は菅原道真・八幡大神・住吉大神。江戸時代まで老松おいまつ宮と称した。正安二年(一三〇〇)堀右京進忠久が水田みずた(現筑後市)より勧請したといい、太宰府天満宮青木あおき庄の鎮守とされる。天正年中(一五七三―九二)まで社領二五町を有した(寛文十年寺社開基)。寛永年間(一六二四―四四)には久留米藩有馬氏より社領二〇〇石の寄進を受けた。慶応四年(一八六八)天満宮に改称(「神社明細帳」城島町誌)


天満宮
てんまんぐう

[現在地名]斐川町沖洲

沖洲おきのすの中央よりやや西寄り、天神てんじん川のやや南側に位置する。祭神菅原道真、旧村社。「出東村誌」によると創立は不詳だが、沖洲村が海中の沖ノ洲だった頃、直江なおえ村の字むすびにある土師原はじばら(のち天神原、現在天神松という)にあった社殿が養老年中(七一七―七二四)の洪水でこの地に流され、託宣により氏神となったという。


天満宮
てんまんぐう

[現在地名]久留米市梅満町

大隈おおくまに鎮座する旧郷社。祭神は菅原大神・麓山祇神・淵志神。天満宮神像には万治元年(一六五八)の銘がある。嘉禄三年(一二二七)地頭大隈修理太夫が大隈山に社殿を創建したという(久留米市誌)。天正八年(一五八〇)兵乱で焼失した社地に残った千年松を神体として再興された。文禄二年(一五九三)の洪水で長門石ながといし村の産土神である菅原神(天満宮)の神体が流れてきて二度もこの松にかかったといい、小祠を建てて祀ったとされる(久留米市誌)


天満宮
てんまんぐう

[現在地名]岩木町兼平 山下林添

兼平かねひら集落の南西約一キロの兼平山麓にあり、周囲は林檎園になっている。祭神は菅原道真朝臣命。旧村社。兼平と天神は往時より不離一体の伝承がある。代々修験の持宮で、湯口ゆぐち(現相馬村)教円寺大重院が別当であった。大重院文書によれば弘安年間(一二七八―八八)現弘前市富栄とみさかえの地に兼平右近が初めて勧請した。その後兼平山に移し、慶長八年(一六〇三)初代藩主津軽為信が再興、正保二年(一六四五)三代藩主信義が修繕し、元禄一五年(一七〇二)菅原道真没後八〇〇年祭を行い、明治三五年(一九〇二)には一千年祭を執行したという。


天満宮
てんまんぐう

[現在地名]北茨城市中郷町石岡 宮下

大北おおきた川の右岸に位置し、東に張出した丘陵の南縁辺に鎮座。祭神は菅原道真。旧村社。古くは氷宮こおりのみや天神と称し、「水府志料」には天徳三年(九五九)竜子山たつごやま(現高萩市下手綱)城主常陸介成定が赤浜あかはま(同赤浜)北久保きたくぼに勧請、天文年中(一五三二―五五)城主の命で現在地に移し、同族大蔵成舜を別当としたとある。


天満宮
てんまんぐう

[現在地名]弘前市西茂森町一丁目

西茂森にししげもり町寺院街の手前東方に位置。境内の大部分はかつて修験の大行だいぎよう院のものであった。祭神は菅原道真朝臣命。旧村社。

勧進年月不詳。「弘藩明治一統誌」によれば、四代藩主津軽信政の生母久祥院が、元禄二年(一六八九)植田うえだ(現中津軽郡岩木町)真言宗橋雲きよううん寺に天満宮を寄付したことに始まるといい、明治三年(一八七〇)大行院の廃寺に伴い、橋雲寺から現在地へ移したという。


天満宮
てんまんぐう

[現在地名]三刀屋町三刀屋

三刀屋川右岸、市街地を見下ろす山腹に鎮座する。祭神は菅原道真命、配祀神に天照大神を祀る。旧村社。社伝によると、菅原道真が配流の途中当地に滞在した縁で、里人が小祠を建てて祀ったのが始まりという。その後三刀屋郷の地頭として入部した諏訪部氏(のち三刀屋氏)が三刀屋城内に天神てんじん丸を設けて守護神として祀った。天正(一五七三―九二)末年に三刀屋氏転封後は麓に移して氏神として奉斎してきたが、文政八年(一八二五)火災により社殿を失い、弘化二年(一八四五)対岸の現社地に移した。


天満宮
てんまんぐう

[現在地名]協和町蓬田

蓬田よもぎだの北、大小だいしよう山麓の小高い地に森に囲まれて鎮座する。祭神は菅原道真で、配祀は倉稲魂命・酒解之命。旧村社。社伝によれば、天徳元年(九五七)の創建といい、慶安年間(一六四八―五二)徳川家光から朱印地三〇石を認められた。延宝四年(一六七六)銘の菅原道真木像の銘文には、文安二年(一四四五)二月二五日に印海が再興とある。


天満宮
てんまんぐう

[現在地名]里美村折橋 柳原

里川西側の山の中腹に鎮座し、天神様ともいう。祭神は菅原道真。旧村社。創立は天正元年(一五七三)以前というが不詳。初め宿しゆくの東の善当ぜんとう寺境内にあったが、この寺が明暦(一六五五―五八)前に廃寺となったので、現在地に遷座したという。別当職は代々本山派修験護国院が勤めた。


天満宮
てんまんぐう

[現在地名]天理市萱生町

萱生かよう町の集落中央、どうの山に鎮座。社地は前方後円墳の後円部で、菅原神社・天神社とも称する。祭神菅原道真。旧村社。境内に明和八年(一七七一)・文政一三年(一八三〇)のおかげ灯籠があり、御蔭講の組織があったことがわかる。


天満宮
てんまんぐう

[現在地名]木造町吹原

吹原ふきはら村の北端にある。祭神は菅原道真命、旧村社。神社微細社司由緒調書上帳(最勝院蔵)や寺社領分限帳(国立史料館蔵)によれば、延宝元年(一六七三)の創立。貞享四年(一六八七)検地帳には天神社地一四歩とある。


天満宮
てんまんぐう

[現在地名]鎌倉市上町屋

柏尾かしお川左岸、泉光せんこう院南方に位置する。祭神は菅原道真。旧村社、上町屋かみまちやの氏神社。勧請年月未詳。本殿・拝殿・末社などからなる。社伝では上総介平良文が霊夢により天神を祀ったのが始まりという。現在の社殿は天明元年(一七八一)の建立。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「天満宮」の意味・わかりやすい解説

天満宮(菅原道真を祀る神社)
てんまんぐう

菅原道真(すがわらのみちざね)を祀(まつ)る神社。道真は大宰権帥(だざいのごんのそち)に左遷され、903年(延喜3)その地で亡くなり葬られたあと、都に雷鳴、地震、洪水、火災など異変が起こり、また左遷に関係した人々が不幸な死に方をするなど不吉なできごとが続出した。都人はそれを道真の怨霊(おんりょう)によるものとして恐れ、鎮魂のために大宰府安楽寺の廟所(びょうしょ)を整備造営し、また天暦(てんりゃく)年間(947~957)には託宣があって京都の北野に神殿を造営した。のち道真に追諡(ついし)してその神名を天満天神としたことから、社(やしろ)を天満宮と称し、さらに天満大自在天神とよばれ、文学の神、詩文の神、書道の神として崇敬された。中世以降は正直の神、至誠の神、さらに禅僧より渡唐天神として信仰されたが、一方で北野は古来祭場、ことに農業に関連しての雷神を祀る祭場であったことから、早くより天神、火雷天神とよばれ農業と結び付けて信仰され、各地に勧請(かんじょう)された。近世以降、文運の隆昌(りゅうしょう)とともに、各地に天満宮、天満神社、また天神社などの名で祀られるようになった。

[鎌田純一]


天満宮(高知市)
てんまんぐう

高知市天神町に鎮座。俗に旧地名より潮江(しおえ)天満宮、また潮江天神という。菅原道真(すがわらのみちざね)、その子高視(たかみ)、北御方(きたのおかた)を主神として祀(まつ)る。901年(延喜1)道真左遷とともに、その子右少弁高視も土佐権守(とさごんのかみ)に左遷され、当地高見山に居住、903年道真の没後、高視が道真の遺物を神体として奉斎したのが起源で、906年高視没後合祀(ごうし)と伝承。慶長(けいちょう)年間(1596~1615)山内(やまうち)氏入国後、旧社地の東方約200メートルの現在地に遷(うつ)す。旧県社。例祭7月22日。

[鎌田純一]

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改訂新版 世界大百科事典 「天満宮」の意味・わかりやすい解説

天満宮 (てんまんぐう)

菅原道真をまつる神社。〈てんまぐう〉ともいい,俗に〈天神さん〉とよばれる場合が多い。平安時代の公卿,学者であった道真が903年(延喜3)大宰府で没したあと,その地に葬られ,やがて神としてまつられたが,一方京都でもその怨霊がおそれられて,北野に神としてまつられた。それぞれ現在の太宰府天満宮北野天満宮であるが,その道真がまもなく天満大自在天神,天満天神,火雷天神などの神号でよばれたことより,この名が一般となり,道真に対する尊敬が深まるとともに,この太宰府,北野のほかに,そのゆかりの地に,さらに全国各地に勧請されまつられるに至った。現在天満宮はその道真の文才よりして学問の神とされるが,また一方で,火雷天神の名よりして雷神信仰と結びつけて農業に関連ある神として崇敬する地もある。
菅原道真 →天神信仰
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天満宮」の意味・わかりやすい解説

天満宮
てんまんぐう

大阪府中部,大阪市中央北部,北区に鎮座する元府社。天満天神,天満宮(てんまぐう),大阪天満宮ともいい,俗に天神さんと呼ばれる。菅原道真を主神とし,ヒルゴノミコト,タヂカラオノカミ(手力男神)サルタヒコノカミ(猿田彦神)を配祀する。天暦3(949)年のある夜,かつて道真が参詣した大将軍社の前に突如マツが生え霊光を放ったと聞いた村上天皇が,同 7(953)年に境内に道真をまつったとされる。7月24,25日の天神祭は,京都八坂神社祇園祭とともに,古来夏祭りとして有名。(→天神信仰

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百科事典マイペディア 「天満宮」の意味・わかりやすい解説

天満宮【てんまんぐう】

菅原道真を祭神とする神社。〈てんまぐう〉とも。天満神社・天神社・菅原神社・菅原天神社などと称するものもあり,全国に多数分布する。宗祀社は北野天満宮太宰府天満宮。天満は道真に追諡(ついし)された神号〈天満大自在天神〉による。
→関連項目天神天満

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歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典 「天満宮」の解説

天満宮
(通称)
てんまんぐう

歌舞伎浄瑠璃の外題。
元の外題
天満宮花梅桜松
初演
文政11.1(大坂・中村歌女座)

出典 日外アソシエーツ「歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典」歌舞伎・浄瑠璃外題よみかた辞典について 情報

事典 日本の地域遺産 「天満宮」の解説

天満宮

(愛知県岡崎市東蔵前町字火打山13-1)
ふるさとの森」指定の地域遺産。
面積1,800【m2】

天満宮

(愛知県岡崎市鴨田町字北浦56)
ふるさとの森」指定の地域遺産。
面積1,600【m2】

出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報

世界大百科事典(旧版)内の天満宮の言及

【天満宮】より

…平安時代の公卿,学者であった道真が903年(延喜3)大宰府で没したあと,その地に葬られ,やがて神としてまつられたが,一方京都でもその怨霊がおそれられて,北野に神としてまつられた。それぞれ現在の太宰府天満宮北野天満宮であるが,その道真がまもなく天満大自在天神,天満天神,火雷天神などの神号でよばれたことより,この名が一般となり,道真に対する尊敬が深まるとともに,この太宰府,北野のほかに,そのゆかりの地に,さらに全国各地に勧請されまつられるに至った。現在天満宮はその道真の文才よりして学問の神とされるが,また一方で,火雷天神の名よりして雷神信仰と結びつけて農業に関連ある神として崇敬する地もある。…

【天神祭】より

…天神をまつる神社(天満宮)で行われる祭り。菅原道真の命日である25日を祭日とするものが多い。…

【天満】より

…大川以北の地で,旧天満堀川(1872年埋立て)を境として西天満と東天満に分かれる。地名は大坂天満宮鎮座の地に由来するという。天満宮は東天満の中央部に位置し,もと大将軍の森と称する神域であったが,天暦年間(947‐957)村上天皇の勅願により社殿を創建し,天満宮を勧請したもので,のち後水尾天皇のとき御神影ならびに天満宮の社号を与えられたと伝える。…

※「天満宮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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