秋月庄(読み)あきづきのしよう

日本歴史地名大系 「秋月庄」の解説

秋月庄
あきづきのしよう

鎌倉期からみえる庄園で、「和名抄」に記す阿波郡秋月郷の郷名を継承する。庄域は現市場いちば日開谷ひがいだに川付近から土成どなり九頭宇谷くずうだに川流域にまで及んでいたものと思われる。貞応三年(一二二四)以後と推定される宣陽門院領目録(島田文書)に「新御領自上西門院進之」として「阿波国秋月庄」がみえ、上西門院統子内親王(鳥羽天皇皇女)から姪の宣陽門院(後白河法皇第六皇女覲子内親王)に譲られ、新しく同女院の所領となっていた。覲子内親王の母は高階栄子で、高階家が歴代阿波守を勤めていたことから、隣接する朽田くちた庄ともども高階家が当地に関与していたものであろう。応永二〇年(一四一三)に書写された長講堂領目録(京都御所東山御文庫記録)に法金剛院領として「阿波国秋月庄 守護押領歟」とある。鳥羽天皇の中宮待賢門院璋子が大治五年(一一三〇)京都ならびおか(現京都市右京区)建立した御願寺である法金剛ほうこんごう院の所領は待賢門院の死後、その娘上西門院統子内親王から宣陽門院に譲られ、承久の乱後幕府に一度没収されるものの、のち還付されて宣陽門院の養女鷹司院から後深草天皇に譲られて持明院統に伝領されることから、当庄の立庄は一二世紀後半にはなされていたものと思われる。

正中二年(一三二五)四月二一日の尊忍田地寄進状(高野山文書)にかかわるものと思われる高野山灌頂院寄進覚書(同文書)に「秋月庄切畑寺」とある。元弘三年(一三三三)五月一六日の勢至女田地売券(同文書)には紀伊国官省符かんしようふ(現和歌山県高野口町)下方市原の一段一八〇歩の水田を高野山金剛峯こんごうぶ寺御影堂陀羅尼田料所として阿波国秋月庄友吉名主沙弥善恩が買得しており、五日後の五月二一日にはその田地を高野山御影堂陀羅尼田として寄進している(「善恩等田地寄進状」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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