日本歴史地名大系 「下谷西町」の解説 下谷西町したやにしまち 東京都:台東区旧下谷区地区下谷西町[現在地名]台東区東上野(ひがしうえの)一―三丁目明治二年(一八六九)下谷辻番(したやつじばん)屋敷(通称西町)を改称して起立。同五年に筑後柳川藩立花氏上屋敷や書院番組大縄地など付近の武家地を合併した。南は下谷竹(したやたけ)町、北は下谷車坂(したやくるまざか)町、東は道を隔てて南部は浅草七軒(あさくさしちけん)町、北部は下谷南稲荷(したやみなみいなり)町。西は南部が下谷御徒(したやおかち)町三丁目、北部は下谷車坂町。かつては沼地で姫(ひめ)が池とよばれ、天正一八年(一五九〇)入国早々の徳川家康が浅草の鳥越(とりごえ)村民を動員して埋立てたという。不忍(しのばず)池から流れ出る忍(しのぶ)川は立花氏上屋敷の横溝に落ち、それから二手に分れて一流は三味線(しやみせん)堀に、もう一流は浅草新堀に落ちる。忍川は立花氏屋敷までの名称である(御府内備考)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by