下赤坂村(読み)しもあかさかむら

日本歴史地名大系 「下赤坂村」の解説

下赤坂村
しもあかさかむら

[現在地名]川越市下赤坂

上松原かみまつばら村の南、武蔵野台地上に立地。東は上富かみとめ(現三芳町)。川越藩主松平信綱の武蔵野開発政策によって成立した新田村で、幕末まで川越藩領。当初石川四郎左衛門が開発請負人となったが、万治二年(一六五九)に下野国吉水よしみず(現栃木県田沼町)出身の石川彦次右衛門(「風土記稿」では下野国佐野の石川采女と記す)が入植し、翌三年に地割が行われ、翌寛文元年(一六六一)から本格的開発が始まったという(川越市今福の沿革史)。同四年の河越領郷村高帳に書加えられた武蔵野分のうちに、新村注記で赤坂村とみえ、高六五石余、反別畑二五町余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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