下軽部村(読み)しもかるべむら

日本歴史地名大系 「下軽部村」の解説

下軽部村
しもかるべむら

[現在地名]出島村下軽部

菱木ひしき川右岸にあり、西は上軽部村、南は岩坪いわつぼ村。江戸初期は水戸藩領で、正保三年(一六四六)領地替で水戸藩領を離れ(出島村史)、正徳期(一七一一―一六)に土浦藩領となる(土浦市史)。弘化元年(一八四四)戸数は四五・人数一七〇(「県方集覧」酒井泉氏蔵)

下軽部の西端にある真言宗豊山派の塙山長福ちようふく寺は、江戸時代には末寺三二ヵ寺を数える大寺であったが、明治一九年(一八八六)火災で焼失し、現在は山門が残るのみである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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