日本歴史地名大系 「新治郡」の解説
新治郡
にいはりぐん
県の中央部に位置し、東から北は
「古事記」に「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」とあるが、この新治は現新治郡とは異なり、現笠間市西部から下館・下妻両市にかけての地で、現新治郡域は文禄年間(一五九二―九六)の太閤検地で郡域が変わるまでは、茨城郡(現八郷町・出島村・玉里村、千代田村の一部。玉里村の大半は引続き茨城郡に属したが、元禄期に新治郡に入る)、筑波郡(新治・千代田・桜各村の一部。新治村の一部はその後も筑波郡)、
〔原始〕
〔古代〕
常陸国府は茨城郡内(現石岡市)に置かれた。国府には国分僧寺・尼寺も造営され、茨城郡は常陸国の政治・文化の中心地となった。班田収授法の実施に伴う条里制の遺構は、現新治郡域では恋瀬川下流の千代田村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報