下長者町通(読み)しもちようじやまちどおり

日本歴史地名大系 「下長者町通」の解説

下長者町通
しもちようじやまちどおり

鷹司たかつかさ通・新在家しんざいけ通ともいう。平安京開設当初に開かれた鷹司小路に該当。「坊目誌」は「東は烏丸に起り、西は御前通西入に至る。(中略)始め東京極に通ぜしが、皇宮地と為るに及び烏丸以東閉塞す。大宮以西は元和元年開く所なり」と記す。

中世、大宮おおみや大路以西は荒廃していたらしく近世初期には豊臣秀吉により聚楽第じゆらくだいが建立され、文禄四年(一五九五)壊されて以後に御前おんまえ通まで開通。

鷹司通の呼称について「京雀」は「昔この町筋の北のかた一町万里小路までのこうじ通の東に鷹司殿ありし故に名とす(中略)今の鷹司殿の家、すなはち昔の屋敷に替らず、これ鷹司通にあたり万里小路の東にあたれり」と記す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

貨幣 (名目) 賃金額を消費者物価指数でデフレートしたもので,基準時に比較した賃金の購買力を計測するために用いられる。こうしたとらえ方は,名目賃金の上昇が物価の上昇によって実質的には減価させられている...

実質賃金の用語解説を読む