漢―北魏(ほくぎ)間の中国北方にいたアルタイ語系遊牧民族。烏桓とも書く。古くは東胡(とうこ)とよばれ、東胡が紀元前3世紀末に匈奴(きょうど)に撃破されると残部は2部に分かれ、北方シラムレン川流域を根拠地としたのが鮮卑(せんぴ)、南方ラオハ川流域に根拠地を置いたのが烏丸とよばれた。中国正史によれば、狩猟、交易のほか、季節的農耕の痕跡(こんせき)もある。シャーマニズムを信仰し、初め統一勢力はなく、非世襲の大人(たいじん)に統率されて地域ごとに分立し、匈奴に服属していたが、のち漢にも朝貢し、漢の匈奴抑制策の一翼を担い、両者に属するようになった。後漢(ごかん)末に至り、大人が世襲化し、蹋頓(とうとん)が柳城を拠点として大部分を統一する勢力を形成したが、河北を平定した魏の曹操(そうそう)(155―220)により壊滅させられた。残部は多く鮮卑に従い、のち4世紀にかけて鮮卑とともに中国内地に移入して農耕民化し、北魏以降、漢民族と融合の度合いを深めていった。
[片桐 功]
烏桓(Wuhuan)とも書く。匈奴(きょうど)の冒頓単于(ぼくとつぜんう)によって滅ぼされた東胡(とうこ)の後裔で,東部内モンゴルのラオハ川流域を本拠としたトルコ系もしくはモンゴル系の遊牧民。匈奴に服属していたが,匈奴が南北に分裂すると(48年),後漢に朝貢し,後漢は烏丸を懐柔して匈奴,鮮卑(せんぴ)を防御する任にあたらせた。2世紀中葉から匈奴,鮮卑とともに後漢に侵攻して強大になったが,後漢末に曹操(そうそう)の親征を受けて(207年)烏丸の勢力は壊滅した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
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…前2~後3世紀初,内モンゴルのラオハ川流域を中心に活動した遊牧民族。烏丸とも記され,前206年ころ匈奴の冒頓単于(ぼくとつぜんう)に滅ぼされた東胡の一派。族名については,蒙古語ukhaghan(賢),unagan(奴隷)などとする説がある。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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