与六分村
よろくぶむら
[現在地名]玉村町与六分
玉村八幡宮西方の上新田村に囲まれるように位置し、群馬郡に属した。村名は関東郡代伊奈忠次の下役として働いた和田与六郎にちなむと思われる。村西南部(現玉村高等学校の敷地)に与六屋敷とよばれる、東西一二〇メートル、南北一一〇メートルの環濠屋敷があったといわれ、和田与六郎の子孫早川与六家累代の居所であったという。和田与六郎は給所であった滝村(現高崎市)のうち三町三反を、用水普請で活躍した江原源左衛門重久に宛行っている(慶長一五年「給所宛行状」江原文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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