佐波郡(読み)さわぐん

日本歴史地名大系 「佐波郡」の解説

佐波郡
さわぐん

面積:九九・八四平方キロ
赤堀あかぼり町・あずま村・さかい町・玉村たまむら

明治二九年(一八九六)佐位さい郡と那波なは郡が合併して成立した郡で、昭和一五年(一九四〇)伊勢崎市の成立以降、分離・編入を経て同三五年ほぼ現郡域となった。県の南東部に位置し、中央に伊勢崎市があり二分される。西側に玉村町、東側に赤堀町・東村・境町が北から連なる。東は新田につた笠懸かさかけ村・藪塚本やぶづかほん町・新田町・尾島おじま町、北は勢多せた新里にいさと村・粕川かすかわ村および前橋市、西は高崎市、南は多野たのしん町および埼玉県児玉こだま上里かみさと町・本庄ほんじよう市・深谷ふかや市に接する。赤堀町・東村・境町は広瀬ひろせ川の東側で、赤城山南麓末端に位置し、南端は広瀬川の西および利根川の南にまたがり、標高一六八・三メートル(赤堀町峯岸山)から三九・一メートル(境町米岡)まで全体として南傾斜し、北半は畑地、南半は水田が多い。玉村町は大部分が利根川とからす川に挟まれた地域に位置し、一部は利根川の北側にある。標高七七・四メートル(大字板井)から五九メートル(大字飯倉)まで南東に緩傾斜する低平な地域で、水田が多い。北部の赤堀町を国道五〇号が東西に、南部を国道三五四号が、境町―伊勢崎市―玉村町の経路で東西に通り、東部を上武じようぶバイパスが通る。鉄道は国鉄両毛線・東武伊勢崎線がある。

〔原始・古代〕

先土器文化の遺跡は郡東部の洪積台地に分布し、尖頭器などの石器が出土している。縄文文化の遺跡も郡東部の赤堀町・東村に多く発見され、赤堀町の鹿島かしま遺跡から早期の石器・土器が出土したのをはじめとして赤堀町の曲沢まがりさわ遺跡・洞山どうやま遺跡、境町の北米岡きたよねおか遺跡などが知られる。弥生文化の遺跡は、赤堀町の大正たいしよう用水弥生遺跡で樽式土器三個が発見されたほか、縄文時代の遺跡と同じく郡東部の北米岡遺跡、洞山遺跡などに土器が散布している。古墳は東部粕川流域の丘陵や台地上に密度濃く分布し、赤堀町には家形埴輪および剣・刀・鏡を出土し、木炭槨で帆立貝式の赤堀茶臼山あかぼりちやうすやま古墳、蕨手刀を出土した蕨手塚わらびてづか古墳および達磨山だるまやま古墳を含む地蔵山じぞうやま古墳群、五―七世紀にわたる峯岸山みねぎしやま古墳群、轟山とどろやま古墳群がある。境町には横穴式石室をもつ大型の前方後円墳の上淵名双児山かみふちなふたごやま古墳、東村には角閃石安山岩の削石を利用した横穴式石室をもつ鶴巻つるまき古墳などがある。

佐波郡
さばぐん

面積:二八八・三九平方キロ
徳地とくじ

山口県のほぼ中央部に位置するが、旧佐波郡のうちの瀬戸内海に面する南方が防府ほうふ市となり、東南の一部が新南陽市に合併されたために、現在の佐波郡は佐波川中流以北、佐波川とその支流域、およびその周辺山地を町域とする徳地町のみとなった。東は北のあざみヶ岳(一〇〇四・二メートル)から南へ続く山地によって都濃つの鹿野かの町、北は中国山地により阿武あぶ郡、西は中国山地の高羽たかばヶ岳から南下する標高五〇〇―六〇〇メートルの山地で山口市に境する。

「日本書紀」景行天皇一二年九月条に「周芳の娑麼に到りたまふ」とあり、郡名は天平六年(七三四)の周防国正税帳(正倉院文書)に「佐波郡」とみえるのが早い。九条家本「延喜式」(民部省)に「佐波郡」とある。

〔原始・古代〕

縄文時代の遺跡はあまり多くはないが、佐波川中流左岸の、眼下に佐波川を見下ろす徳地町大字堀の大谷浴ほりのおおたにがえき遺跡や、山口市鋳銭司すぜんじにまたがる長沢ながさわ池周辺では、縄文時代の遺跡や住居跡が確認されている。弥生文化は沖積低地を中心に広がったが、現防府市域の佐波川下流の両岸、沖積段丘上には弥生中期から古墳時代にかけての集落遺跡がある。この佐波川下流域の沖積地は、以後古墳時代を経て古代における周防国の中心地となった所で、古墳も多く発掘されている。

「日本書紀」景行天皇一二年の条には、天皇が筑紫に西下の途中「娑麼」に至ったとあるのをはじめ、仲哀天皇八年正月の条には、穴門より筑紫に行幸の途中、岡県主の祖熊鰐なる者が「周芳の沙麼の浦に参迎ふ、魚塩の地を献る」とある。「旧事本紀」によれば、仁徳天皇の時に田鳥足尼が都怒国造に定められ、紀田鳥宿禰の孫米多臣が、周芳国より讃岐国に移り、のちに佐婆部首を称した(「続日本紀」延暦一〇年一二月一〇日条)とあることなどから、当時、佐波郡一帯の地は都怒国に含まれており、大化の改新以降に都濃郡と佐波郡に分割されたといわれる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

防府市歴史用語集 「佐波郡」の解説

佐波郡

 律令[りつりょう]時代に作られた周防[すおう]国の行政区分で、今の防府市と徳地町にあたります。

出典 ほうふWeb歴史館防府市歴史用語集について 情報