中下増次郎(読み)ナカシタ マスジロウ

20世紀日本人名事典 「中下増次郎」の解説

中下 増次郎
ナカシタ マスジロウ

大正・昭和期の果樹園芸家



生年
明治17(1884)年2月27日

没年
昭和41(1966)年2月1日

出生地
広島県久友村(現・豊町)

学歴〔年〕
忠海中卒

経歴
郷里の広島県久友村(現・豊町)でミカン栽培に携わり、米国製選果機を導入するなど選果販売体制の近代化に尽力した。沖友柑橘生産販売組合幹事、組合長を歴任

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

関連語 学歴

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中下増次郎」の解説

中下増次郎 なかした-ますじろう

1884-1966 大正-昭和時代の果樹園芸家。
明治17年2月27日生まれ。生地の広島県久友村(豊町)でミカン栽培に従事。沖友柑橘(かんきつ)生産販売組合の幹事,組合長をつとめ,アメリカ製選果機を導入するなど選果販売体制の近代化につくした。昭和41年2月1日死去。81歳。忠海中学卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

敵を欺くために、自分の身や味方を苦しめてまで行うはかりごと。また、苦しまぎれに考え出した手立て。苦肉の謀はかりごと。「苦肉の策を講じる」...

苦肉の策の用語解説を読む