中原徳太郎(読み)ナカハラ トクタロウ

20世紀日本人名事典 「中原徳太郎」の解説

中原 徳太郎
ナカハラ トクタロウ

明治〜昭和期の医師 日本医専校長;衆院議員。



生年
明治4年7月20日(1871年)

没年
昭和2(1927)年11月17日

出身地
京都府京都市

学歴〔年〕
東京帝大卒

学位〔年〕
医学博士

経歴
京都独逸学校で普通学を修め、東京独逸協会学校、第一高等中学校を経て、東京帝大医科大学に入学。明治32年卒業して同大助手となり、初めスクリッパ教師に就き、のち近藤外科に転じた。同年東京の楽山堂病院副院長として招かれ外科的診療、特に整形外科手術を担当した。この間、ドイツおよびオーストリアに留学し、ウルッブルグ大学、ハイデルベルヒ大学、ウィーン大学などで研究する。大正6年東京日本橋に中原病院を設立し院長となる。翌7年日本医学専門学校(現・日本医科大学)の改革に当たり理事となり、のち校長を務め、また東京医学士会付属調査所長として新薬検定に関与した。12年東京から衆院議員に当選2回。憲政会幹事長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「中原徳太郎」の解説

中原徳太郎 なかはら-とくたろう

1871-1927 明治-昭和時代前期の整形外科医
明治4年7月20日生まれ。楽山堂病院副院長などをへて,大正6年東京日本橋に中原病院を設立。日本医専(現日本医大)校長をつとめた。12年衆議院議員(当選2回)。昭和2年11月17日死去。57歳。京都出身。東京帝大卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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