中田切新田(読み)なかたぎりしんでん

日本歴史地名大系 「中田切新田」の解説

中田切新田
なかたぎりしんでん

[現在地名]本埜村中田切

松木まつのき新田の東にある。笠神埜原かさがみやわら新田の一。寛文年間(一六六一―七三)に布川領中田切村(現茨城県利根町)出身者を主体として成立した新田村とされるが、寛文一一年の国手形寺請状改書綴(吉植家文書)では下総国庄内領四人・武蔵国幸手領三人・布川領中田切村三人とその他三人である。なお一五〇年後の嘉永六年(一八五三)の家数も一三(「埜原新田諸職人手間日雇賃代取極連印帳」同文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む